キリスト教入門 Ⅰ

 

 
    キリスト教入門講座

神を知る
神を知ることは、人生を知ることである。
神の存在と神のご性質について
神がおられることは、どうしてわかるのでしょうか。
神の存在は、一体どのようなことによって示されるでしょうか。


聖書の預言の成就
 その第一は、聖書の預言(予言)の成就です。
 聖書には数々の預言があり、それらの成就のしかたは、まことに驚くべきものです。
 その中でも有名なものの一つは、イスラエル国家の回復に関する預言です。
 イスラエル民族は、A.D70年にエルサレムがローマ軍によって破壊されて以来、約2000年もの間、世界各地に離散し、放浪していました。しかし20世紀になって、しだいに彼らは祖国に帰り始め、ついに1948年、イスラエル共和国の独立を宣言したのです。


聖書の預言のとおりイスラエルは独立した(1948年)

 このことは、全世界の人々をたいへん驚かせました。2千年ものあいだ国を失い、放浪していた民族が、自分たちの純粋性を失わず、再び国家を再建するなどということは、他のどんな民族にも見られないことで、ほとんど奇跡的なことだからです。
 しかし、2千年前に彼らが離散したことも、現代になって国家を再建したことも、聖書の中にあらかじめ預言されていたことでした。聖書には、イスラエルの回復についてこう記されていました。
 「わたし(神) は、あなたがたを諸国の民の間から連れ出し、すべての国々から集め、あなたがたの地に連れていく」(エゼ36:24、約2600年前の預言)。
 この預言のとおり、イスラエル民族はパレスチナに帰ってきました。私たち20世紀に生きる者たちは、この預言の成就の目撃者なのです。
 そのほか、聖書には数多くの預言があります。栄華を誇ったバビロン帝国(新バビロニア帝国 紀元前606〜536年)の興亡や、イエス・キリストの生涯なども、くわしく預言され、すべてその通りに成就しました。
 預言の中には、過去においてすでに成就したもの、現在成就しつつあるもの、またこれから成就しようとしているものの3種があります。
 そして、今まで聖書の預言はすべてその通りに成就してきたことを考えれば、将来に関する聖書の預言も、いずれその通り成就するに違いありません。
 しかし、「予言なら『ノストラダムスの予言』とか、話題になっている他の様々な予言もあるではないか」という人もいるでしょう。それらの予言と、聖書の預言(予言)はどこが違うのでしょうか。
 その違いは、聖書の預言は、「将来何が起こるか」だけではなく、「それがなぜ起こるか」「何のために起こるか」をも、明確に示しているところにあります。
 ですから、聖書にはこう記されています。
 「遠い大昔のことを思い出せ。わたしが神である。ほかにはいない。わたしのような神はいない。わたしは、終わりの事を初めから告げ、まだなされていない事を昔から告げ、『わたしのはかりごとは成就し、わたしの望む事をすべて成し遂げる』と言う」(イザ46:10)。
 このように聖書に預言が記されたのは、それを記したかたが神であることを、私たちが悟るためなのです。


荘厳な宇宙

 また私たちは、宇宙自然の荘厳さ、美しさ、偉大さを通して、神の存在を知ります。聖書は言っています。
 「神の、目に見えない本性、すなわち神の永遠の力と神性は、世界の創造された時からこのかた、被造物によって知られ、はっきりと認められるのであって、彼らに弁解の余地はない」(ロマ1:20)。
 つまり神の永遠の力と神性は、被造物である宇宙自然によくあらわされている、ということです。かつて月に2度行ったことのあるアメリカの宇宙飛行士ジーン・サーナンは、こう語りました。
 「宇宙から地球を見るとき、そのあまりの美しさに心を打たれる。こんな美しいものが、偶然の産物として生まれるはずがない。ある日ある時、偶然ぶつかった素粒子素粒子が結合して、偶