「私たちは救い主に出会った!」2013年4月21日(日)ヨハネ1章35−42節

『私たちは救い主に出会った!』
  ヨハネ1章35—42節 13.4.21
「人生は出会いで決まる」「一期一会」「千載一遇」これらのことわざの共通点とは何でしょうか。それは、人生における出会いはとっても大切であるということです。
 その人がどのような人と出会うかによって、その人の人生が大きく左右されるのです。
 たとえば、振り込み詐欺の被害を被るというのは後を絶ちませんが、その人の不注意から招いたものであったとしても、実に不運な出会いであります。あるいは、結婚においてお互いがどのような人と出会うかによって、その後の人生が良いものになれば、あるいは悪いものになるということもあります。
 私自身も振り返ってみるなら実に多くの方々と出会いました。もちろん良い出会いもあれば、あまり良くなかったという出会いもあります。しかし、私にとって最高の出会いはもちろんイエス・キリストとの出会いであります。きっと皆さんも同様ではないでしょうか。
もし私がイエス・キリストに出会っていなかったなら、おそらく私の人生はすでに終わっていたにちがいありません。
 無神論共産主義といった思想活動による毎日の不規則な生活から来るストレス、健康に害ある嗜好物、特にヘビースモーカーであったことや深酒は、どれだけ私の身体を蝕んでいたことでしょうか。
 このような者に、神様のことを伝えてもきっと反発や反論しか返らないことを承知で、イエス・キリストのことを伝えてくれたクリスチャンに心から感謝しているのです。
 たしかに、この救い主について声を大にして人々に伝えなければならないことは百も承知であります。しかしながら、ためらったり、勇気がないために福音を語る機会を逸したり、あるいは福音を語ってもだれも聞いてはくれないとあきらめているといった様々な思いの中にあるというのが多くのクリスチャンたちの心境ではないでしょうか。
 さてけさは、二つのことを学びます。
1.バプテスマのヨハネが、自分の弟子二人に『見よ。神の小羊。』とイエスを指し示したのです。このことから大切なことが教えられます。
2.もうひとつは、イエスを身近な者に紹介した弟子から学びましょう。
 まず35−40節を見ましょう。このところはどのような状況であったかということですが、このふたりの弟子とは、バプテスマのヨハネによって洗礼を受けた弟子であります。
 ひとりはペテロの弟アンデレで、もうひとりはだれなのかは特定できませんが、とにかく当時バプテスマのヨハネには多くの弟子がいたのです。
 しかしヨハネは自分の弟子を増やすために人々に説教をし、バプテスマを授けていたのではなかったのです。
 それは、彼の弟子たちをイエス・キリストの弟子となるようにと前もって道備えをしていたのです。
 だれであれ、自分の功績は評価して欲しいものです。まして自分に従う多くの弟子たちに、自分ではない、キリストに従うようにと、これまでの自分の努力による功績をいともたやすく人にに手放すというのは、やはり惜しい気持ちになるというのが普通の感情ではないでしょうか。
 しかし、ヨハネヨハネ3章30節で「あの方は盛んになり、自分は衰えなければなりません。」と彼が導いた弟子たちの前できっぱりと言ったのです。
 それを聞いたヨハネの弟子たちの思いはどのようなものであったのでしょうか。
 というのは、先生(ヨハネのこと)が指し示したイエス・キリストの名によってバプテスマを受ける人々がどんどん起こされるようになり、みなあの方の所に行くことに対して(3章25,26節)、少なからずヨハネの弟子たちは焦り、不安、やっかみといった思いが生じたのではないかと思われるのです。 
 実は4章2節を見ますと、バプテスマを授けていたのは、イエス様の弟子でした。イエス様があえてそうされたことが後々に分かってくるのです。
 それは、弟子たちがバプテスマを授けていたことによって教会の中である問題が生じたのです。
 つまり、だれにバプテスマを授けてもらったのかということが後々のトラブルを引き起こす原因となるのです。それは教会内での不一致を生んでしまいました。
 それは、だれからバプテスマを受けたのかということによる分派です。私はパウロから、私はペテロから、あるいはアポロからバプテスマを受けたということから、私はパウロにつく、ケパにつく、アポロにつくといった不協和音が教会内に生じたのです。
 そこでパウロは「キリストが私をお使わしになったのは、バプテスマを授けるためではなく、福音を宣べ伝えるためです。(17節)」(第一コリント1章10−17節)と論じたのです。
 つまり十字架のイエスを語るために、私はキリストの使徒(しもべ)となったということを証しをしたのです(参照:第二コリント4章5節)。
 私たちは、偉大な人や、有名な人、あるいはカリスマ的な存在に憧れやすいものです。ましてそのような牧師や宣教師やあるいは伝道者からバプテスマを受けるなら、その人は事あるごとに、私は誰々から洗礼を受けましたということを言いたくなるものです。
 私もそういう方を知っています。有名な伝道者から受洗されたんですねと返事はしますが、その方の信仰生活や教会生活を見る限りあまり感心できなかったのです。
 大切なことがあります。それは受洗後その人がどのような信仰生活を送っておられるかということです。何よりもイエスを主として信じるというのは、イエス・キリストのしもべになるという決意でもあるのです。
 主の弟子であったパウロも、バプテスマのヨハネも自分を隠してキリストがあがめられることを願っていたのです。
 またバプテスマについてだけでなく、教会とは何かということも大切なことであります。熱心に祈られ、多くの献金をささげられて建てられた教会には愛着心があります。あるいは強いリーダーシップによる指導者のもとで建てられた教会には魅力を感じるものです。
 しかし教会のかしらは主であり、教会はキリストのからだであることを忘れてはいけないのです。人があがめられてはいけないのです。人がほめられすぎてはいけないのです。
 私たちがこの世にあって師と仰ぎ礼拝するのは、バプテスマのヨハネが指し示したお方イエス・キリストのみです。
 次にバプテスマのヨハネが指し示したお方を見て、その方に従って行ったふたりの弟子について見ましょう(41,42節)。
 ふたりはイエス様に非常に興味を持ち、イエス様が泊まられる所にまでついて行き、一晩主とともに夜を明かしたのです。恐らくふたりは主から色々な話しを聞いたことでしょう。
 その直後にそのひとりであるアンデレは、まず兄のシモン(後のペテロ)の所に行って、「私たちはメシヤに会った」と言ったのです(40、41節)。
 皆さんもご承知のように、ペテロは親分肌で、激情的、頑固で、自尊心が強く、時に慌て者といった人物像として捉えられているようです。
 そのような兄にイエス様のもとに連れて行くということに躊躇ヤ不安はなかったのでしょうか。
 しかしアンデレはためらうことなく、兄のシモンをイエス様のもとに連れて行ったのです。
 その時のアンデレの気持ちはいかなるものであったかは知るすべもありませんが、私は少なくともアンデレは小さな勇気を持って行動したのではないかと思うのです。この小さな勇気によって兄であるペテロがイエス・キリストに出会ったのです。
 冒頭私のような者にイエス・キリストを伝えてくれたクリスチャンに感謝したことを語りました。
 ある時に、職場でその方から三日間にわたり3通のぶ厚い手紙を頂きました。私は、初めは内心ラブレターと思い込んで、ドキドキしながらトイレの中で手紙を開けてみると、何と3通ともキリスト教の伝道会におけるクリスチャンたちの長い証しでした。
 なんやこれはと思い、どの宗教も同じようなものやな、人は心の持ち方次第でどうにでもなるものやと反感を抱きつつ一応手紙は全部読みました。
 それでもしばらくお付き合いしましたが、無神論の私には限界がありましたが、数年後私はイエス・キリストに捉えられたのです。もしあの時にそのクリスチャンが私にイエス様を紹介しょうと思う勇気を持ってくれなかったなら、その後の私はどのような生き方をして、どのような人生を送っていたことでしょうか。
 私はこのキリストの救いにあずかり、一人でも多くの人がイエス様を信じてもらえたならと思う気持ちになりました。その思いがやがて献身という道に導かれて行ったのです。
 愛する兄弟姉妹、私たちが天国に行った時に、もし私の所に来てイエス様のことを伝えてくれてありがとうと言ってもらえるなら、本当に嬉しいことではないでしょうか。
 人生において『私はメシヤ(救い主)に出会った!』という出会いこそがまさに一期一会であり、千載一遇の出会いではないでしょうか。  
 キリストについての一言の証し、そしてもう少しの勇気を出してキリストを紹介することによって、たとえ多くの時間と忍耐を要したとしても人々がキリストに出会ってくださるなら本当に素晴らしいことではないでしょうか!