『不思議に満ちた信仰の世界』ー年老いた妻、エリザベツの信仰ー 母の日礼拝 2014年5月11日(日)

   『年老いた妻、エリサベツの信仰』
    —不思議に満ちた信仰の世界—
   2014年5月11日(日) 母の日礼拝
   ルカ1章5—7節、24—25節、57—66節
 クリスマスではしばしばルカによる福音書2章からクリスマスメッセージが語られるのですが、アドベントメッセージをしない限り1章を語られる機会が少ないために、エリサベツ(ザカリヤ)についてはよく知らないと言う方もおられるのではないでしょうか。
 もう20年以上前になりますが、イスラエル旅行に行った時にインティファーダ(アラブ人とイスラエル人との衝突:蜂起)に遭遇しました。
 当日観光予定のエルサレム市内には、小銃を持ったたくさんのイスラエル兵がいて、物々しい風景でした。
 エルサレム観光は、イスラエル旅行においては最もメインでしたから、エルサレムを目の前にして中に入れないというのがとても残念でした。
 よってその日の観光地はエリサベツが住んでいたと言われる所に急きょ変更になりました。
 しかしエリサベツが住んでいたと言われる所は、ちょうど奈良の吉野の山の中に似ていて、エルサレムの郊外の山中にあって、静かなところでゆっくりと観光ができて良かったなと思っています。
 ということで、けさはクリスマスではスポットが当てられる機会が少ない人物エリサベツについて学んで行きましょう。
 さてエリサベツとは、「主は誓い」という意味があります。
 5節を見ますと、彼の妻はモーセの兄アロンの子孫です。アロンの妻のエリツバと同じ語源ということであります。
 つまり祭司の子孫であります。彼女の夫はザカリヤ(ヤハウエは覚えておられたの意味)で祭司でした。
 イスラエルにおいて祭司の妻と言うのは、非常に厳格なものが求められていたために、祭司は、敬虔で道徳的行為が全く非難される所のない女性とのみ結婚することを許されていたようであります。
 それは夫の聖なる職を汚すようなことはあってはいけないという理由からでした。
 ということで6節には、『ふたりとも、神の御前で正しく、主のすべての戒めと定めを落ち度なく(脚注:非難されるとことなく)踏み行なっていた。』と記されています。
 ところが、7節を見ますと、『エリサベツは不妊の女だったので、彼らには子どもがなく、ふたりとも、もう年をとっていた。』と書かれています。
 見方を変えれば、「このふたりは、神様の前に敬虔に、忠実に、従順に歩んでいたにもかかわらず、子宝には恵まれなかった。」のです。
 ですから、周りの人達から見れば、この祭司の夫婦は神様に仕え、忠実に歩んでいたとしても何となくアンラッキーな人たちと思われていたのかも知れません。
 もちろん、この老夫婦を見て、ふたりが神様に仕え、忠実に歩んでいるのに、どうして子どもが与えられないのかという声もあったことでしょう。
 あるいは、直接口では言わなくても、子どもができないふたりに対して可愛そうにと同情する人もいれば、なかには敬虔なふたりを冷ややかな目で見ている人もいたのでなかいと推測するのです。
 いつの時代においても、必ずしも敬虔な人がほめられるとは限りません。みことばは次のように言っています.『確かに、キリスト・イエスにあって敬虔に生きようと願う者はみな、迫害を受けます。』 第2テモテ3章12節
 人というのは、他人をほめながらも、その人の欠点や弱さや足りなさを見つけて過小評価したいのです。あるいは優越感を抱きやすいという両面を持っているのではないでしょうか。
 25節を見るとエリサベツは、『主は、人中で私の恥を取り除こうと心にかけられ、今、私をこのようにしてくださった。』と言っているように、当時イスラエルにおいては、子どもができないことは屈辱的(神の呪いと考えられていた)なことであり、また恥であるという社会的な背景があったということが、エリサベツの言葉から伺い知ることができるのです。
 エリサベツは不妊の女という辛いことばは、周りの人から直接聞かずとも、人の目線や、人の態度で薄々気づくこともあったでしょう。
 それゆえに、彼女はどれだけ神様に子どもが与えられるようにと祈り続けたことでしょうか。
 おそらく彼女は、人間的には子どもを授かることをいよいよあきらめないといけない年になるまで祈り続けたと思われるのです。
 そういう意味では、エリサベツはたとえ子どもが与えられないとしても、主に信頼し続ける従順な信仰の持ち主であったと言えるのです。
 さて、このエリサベツを見る時に、信仰者として大切なことが教えられるのです。
 それは自分の願いや希望が叶えられないことがあっても変わらない、ゆるがない信仰姿勢であります。
 では彼女はどのような信仰を持っていたのかを見ましょう。もう一度6節を見ましょう。『神の御前に正しく、主のすべての戒めと定めを落ち度なく踏み行なっていた。』
 先ほども触れたのですが、祭司の妻であるというのは、夫の祭司という職を汚してはいけないために、妻の信仰姿勢が常に問われるというプレッシャーがあったのです。
 しかも当時の時代背景について4福音書を学ぶ限り、たいていの場合祭司と言われた人たちの評判は非常に悪かったのです。
 時のユダヤの王ヘロデの権力に媚びへつらっていた祭司長たちもいました(キリストはどこで生まれたのかを問いただされたのです)。
 また、主を十字架に付けたのは長老、祭司長、律法学者でした。そして大祭司であったカヤパも、イエスの尋問の時に、お前は神の子キリストか答えなさいと問いつめて、イエスは自ら神の子と告白した時に、彼は神への冒瀆だとイエスを断罪したのです。そのことのゆえにイエス様は十字架に付けられたのです。
 そのような堕落しきった宗教家たちが多くいる中で、山中で人知れずに神様に忠実に仕えていたのが祭司ザカリヤであり、妻のエリサベツだったのです。
 いつの時代であっても、堕落している世にあって正しく生きるというのは決して容易なことでないのです。回りの人々が堕落していたなかで、ノアの家族は黙々と箱船づくりをし続けたのです。
 このようにいかなる時代であっても、神様の前にいかに生きるのかを試されるのが信仰者でありクリスチャンなのです。
 まさにエリサベツ(ザカリヤ)は、たとえ祈り願いが聞かれないとしても、神の御前で正しく、主の教えに忠実に従って生きたのです。
 年老いてもなお彼女の信仰は揺らぐことはなかったのです。
 そのような彼女であったと思われるのですが、年老いていく中で、どんな気持ちで日々を過ごしたのでしょうか。
 日々祈り続けているにもかかわらず子どもが与えられない。しかも日々欠かせない神への礼拝の奉仕をする夫を長年助け続けている中で、神様につぶやくことはなかったのでしょうか。あるいは不平不満はなかったのでしょうか(その点については聖書には記されていません)。
 年老いたふたりは人生の意義とは何かを見出すにはとても難しい理由があったのです。  
 しかし、日々変わることなく、忠実で従順な信仰が、一見何の喜びも希望もないと思われる老夫婦の日々支えたのです。
 私が目標とするみことばは『死に至るまで忠実でありなさい』です。まさしくこの老夫婦はその模範であります。
 しかし神様はそのような人々をお見過ごしにはならなかったのです。
 主の使いザカリヤにエリサベツの懐妊を予告したのです。そしてエリサベツはヨハネ(主は恵み深い)を身ごもったのです。
 その子はやがてメシヤであるイエスの道備えとなる人物でした(17節)。
 いよいよその子が生まれる時になって、周りの人々はその子の名をユダヤの慣習に従って父の名にちなんでザカリヤと付けようとしたのです。
 ところが、年老いた妻が身ごもるという御使いの予告を信じなかったために、話すことができなくなっていたザカリヤに代わって、御使いの言葉通りにヨハネ(主は恵み深い)という名をつけたのです。
 彼女は人々を臆することなく神様の命令を忠実に守ったのです。
 そして同じ頃にメシヤを身ごもった自分よりも年若きマリヤを嫉妬することなく、謙遜にもはるか年下のマリヤを私の主の母と呼び、マリヤの身ごもりを心から祝福したのです(42節)。
 祭司アロンの子孫であったエリサベツは、世界で最初にユダの子孫であったマリヤが宿したイエスをメシヤとしてほめたたえたえるという光栄にあずかったのです。
 神様は彼女(夫)の信仰を顧みてくださったのです。年老いた妻は人生の終焉において開花したのです。もちろん神様のいつくしみと恵みによってです。
 さて、今日のスピード時代に生きている私たちは性急に結論を出そうとする傾向が強いのです。しかし信仰の世界はそんなに急ぐ必要はないのです。
 忍耐強く神様を信頼して、信仰によって歩み続けることによって、予期しない出来事に遭遇するという不思議に満ちた世界を体験できるのです。
 年老いても決して忘れることなく顧みられ、祝されたエリサベツやザカリヤのように、どのようなときでも神様に期待し、絶えず忍耐して神様を待ち望む人に目を留めてくださるのが、私たちが信じている神様ではないでしょうか。   
 エリサベツが年老いても子どもが与えられなかった時に、神様につぶやいたとは記されていません。きっとそのようなことはなかったのでしょう。
 しかし、私たちは弱さゆえに、つぶやくことがあったとしても、あるいは不平や不満を言ってしまったとしても心配しなくてもいいのです。大切なことは、その都度しっかりと悔い改めることです。
 『わたしが目を留める者は、へりくだって心砕かれ、わたしのことばにおののく者だ。』
 (イザヤ書66章2節)