「神からのことばである聖書」 要約 ルカ4章31−39節 16.8/28

 「神からのことばである聖書」
ルカ4章31−39節 16.8/28
ことばはお互いの意志伝達のために。さらに、ことばを通して大切な教えを受け、また学ぶ事が出来る。しかし、口から出ることばが正しく用いられないと、また制御されないと大変なことになる。
「私たちはみな、多くの点で失敗するものです。もし、ことばで失敗をしない人がいたら、その人は、からだ全体もりっぱに制御できる完全な人です。」(ヤコブ3章2節)
ところが、けさの聖書の出来事を見ると、人々がイエス様のことばに権威があることに非常に驚いた。しかも、会堂の中にいたひとりの男に大きな衝撃を与えた。その男は、キリストのことばを聞いて突然大声でわめき出した。一体何が起こったのか。
まず第1に、キリストの権威あることばは、悪霊の存在を明らかにした。
 この男の体(心や魂)の中に隠れていた悪霊が、イエスの権威あることばを聞いて叫び出したのです(33節)。「神のことばは生きていて、力があり、両刃の剣よりも鋭く、たましいと霊、関節と骨髄の分かれ目さえも刺し通し、心のいろいろな考えやはかりごとを判別することができます。」(ヘブル書4章12節)
 このみことばは、人には気づかれない心の中に潜んでいる、汚れた思いや、悪い考えが明らかにされるという意味である。ある人は、「聖書は心の鏡である。」と言った。悪霊は、イエス様のことばを聞き、恐れて大声でわめいた。確かに、私たちもまた神のことばである聖書によって、心の中を照らされ、そして探られ、裸にされる。それは恐ろしいことかもしれない。しかし、この聖書から本当の自分の姿を知ることは、神の救いと神の赦しの必要を知り、真剣に神様を求める良い機会となり、やがてイエス・キリストの十字架による救いを知り、まことの愛なる神様に出会うという素晴らしい祝福が自分のものとなる。
 さらに、神のことばは私たちを、この世の誘惑や悪の道から守ってくれる。
「どのようにして若い人は自分の道をきよく保てるでしょうか。あなたのことばに従って、それを守ることです。」(詩編119篇9節)聖書を学ぶことは、真実な自己発見と神を知る道であり、人生の祝福とは何かを知る唯一の書物である。
 第2は、悪霊は、キリストのことをよく知っていた(34節)。
 悪霊たちは、このナザレのイエス様を天地創造のはじめからよく知っている。それゆえに、人には知られないように人々を誘惑し、惑わし日々うごめいている。ですから、悪霊たちは、私たちが聖書を学び、聖書に信頼することを嫌がるだけでなく、非常に恐れ、また警戒している。反対に、私たちは聖書を読むことによって、悪い霊たちを怖気(退散)させ、聖書を学ぶことによって、より深く神様について知り、そして、信仰が高められ、悪魔の巧妙な策略から自分の身を守ることが可能となる。
 最後は、イエスの権威あることばは、語られた通りに実現する(35節・39節)。
 イエス様は「この天地は滅び去ります。しかし、わたしのことばは決して滅びることはありません」(マタイ24章35節)と言われた。さらにイエス様は、世の終わりの日は福音が全世界にあかしされたのちに来ると警告された。
 世の終わりに時代に生かされている私たちは、聖書が語られた通りに必ずなると信じているでしょうか。神の権威を持つことばである聖書は、神様とコミュニケーションを持つために神御自身から私たち人間に与えてくださった。この聖書は人生の諸問題(生きること死にぬこと等)、将来の恐れや不安を解決するための確かな指針である。