「イエス・キリストの招き」—罪人の友となられたイエスー (要約) ルカ5章27節―32節  2016年11月6日(日) 港教会


 「イエス・キリストの招き」—罪人の友となられたイエスー (要約)ルカ5章27節―32節 2016.11.6 港キリスト教

 神の御子イエスは、この箇所でご自身がこの世界に来られた目的を2つの招きによって明らかにされた。
  まず第1に「わたしについて来なさい」とは新しい生き方への招きである。取税人マタイは、ローマの属国であるユダヤ人から徴税し、ローマ政府に納める仕事をしていた。当時の取税人は、同胞のユダヤ人から不正に取り立てて私腹を肥やしていた。ユダヤ人の間では、ローマの手先、裏切り者であると彼らを忌み嫌い、売国奴とか守銭奴と呼んでいた。ある日イエスは、マタイをご覧になって「売国奴呼ばわりされるような仕事をいつまでしているのか。まともな仕事につかないと、あなたは良い人生を送れないよ」とは咎められず、「わたしについて来なさい」と言われた。もちろん、マタイは自分の仕事に誇りを持てないばかりか、生きがいも持てなかったはず。そしてマタイは、イエスの評判や、噂は聞いていた。しかし、この方は自分とは全くかけ離れた別世界の人間だと思っていたに違いない。しかし、そのような彼に主は目を留められて、「わたしについて来なさい」と招かれた。すると彼は、何もかも捨て、立ち上がってイエスに従った。マタイにしてみれば、収税所にいる方が得策で安泰であった。人から蔑まれても、お金には困らず、生涯は保証されていた。しかし、彼は人をごまかして不正の富を得るという仕事に生きがいを持てず、むなしい人生だと思っていたに違いない。
 イエスはそのようなマタイの心をご存知の上で招かれた。そして、主に招かれたマタイは、生きがいを見出せない場所から離れて、イエスの御声に従った時に、新しい生き方がスターした。
 自分の生き方や生きがいに悩み、また人生のむなしさを抱いている人々に、イエス・キリストは、「わたしについて来なさい」と招かれている。そして、招きに応じた時に(イエス・キリストを信じること)、新しい生き方がスタートする。「私たちの主イエス・キリストの父なる神がほめたたえられますように。神は、ご自分の大きなあわれみのゆえに、イエス・キリストが死者の中からよみがえられたことによって、私たちを新しく生まれさせて、生きる望みを持つようにしてくださいました。」(ペテロの手紙第一1章3節)
 第2の招きとは、罪人への招きです。それは、新しいいのちへの招きです。主の招きに応じたマタイは、自分の家に人々を招き、お別れ会ともいうべき盛大な宴をもうけた。招かれた席には、イエスとその弟子たち、イエスについて来た罪人たち、そしてマタイの仕事仲間たちが集まり、共に食事をしていた。ところが、当時の宗教家たちは、罪人と交わると、自分たちも汚れると本気で考えていた。ですから、罪人と共に食事をしていたイエスを見て、弟子たちにつぶやいた。ところが、取税人たちは、宗教者たちとは対照的に、自分の罪を認め、とにかくイエスに従って来た。少なくとも彼らは、自分たちは不正な仕事をしているという自覚は持っていた。では、そのような彼らを見ながらつぶやき、憤慨していた宗教家たちは健全な生き方をしていたのか、否。イエスの指摘どおり、彼らは偽善者であった。残念なことに彼らは、誰よりも自分たちこそ清い生活をしている。つまり律法を守っているという自負や思い込みが、自分たち以外の者をみな罪人呼ばわりしていたのです。
実に多くの人が自分の罪に気づかず、無関心である。でも聖書は警告している。「罪から来る報酬は死です。しかし、神の下さる賜物は、私たちの主イエス・キリストにある永遠のいのちです。」(ローマ6章23節)
罪はこの世のいかなる病気よりも恐ろしいものです。罪の結果は、永遠の死(死後、永遠に神から離され、もはや救助すら出来ない場所に陥る)をもたらす。キリスト・イエスは、失われた人、つまり罪人という重病人を探して、救うためにこの世に来られ、十字架で私たちの罪の身代わりとなり、尊いいのちを犠牲にされたのです。
『「キリスト・イエスは、罪人を救うためにこの世に来られた。」ということばは、まことであり、そのまま受け入れるに値するものです。私はその罪人のかしらです。』(テモテ第一1章15節)
 私たちも、パウロのように罪人のかしら、つまり罪人の親分であるという認識を持ち続けているでしょうか。クリスチャンになってから特に気をつけないといけないことがある。それはパリサイ人のように、自分はあの人よりはいい人間であるという思い違い、勘違い、錯覚である。ですからクリスチャンは、キリスト・イエスがこの世に来られたのは、全ての人が罪を犯したという大前提を忘れてはいけない。むしろ、キリストを信じる信仰によって義とされ、罪赦されている恵みに心から感謝しょう!