クリスマス礼拝 2012年12月23日(日)『神が約束されたクリスマス』ルカ1章26−38節

「神様が約束されたクリスマス」
        12.12/23 
       ルカ1章26−38節
 クリスマスシーズンになりますと、街では至る所で、メサイヤあるいは第九の合唱が催されます。
 かつて天才音楽家と言われたヘンデル(1685年)、バッハ(1685年)、ハイドン(1732年)モーツアルト(1756年)、ベートーベン(1770年)、シューベルト(1797年)たちが輩出した時代がほぼ同時代(100年以内)であるというのも何か不思議でなりません。
 日本ではどうでしょうか。戦国時代の武将や(武田信玄上杉謙信真田幸村織田信長伊達政宗明治維新にも(坂本龍馬勝海舟高杉晋作西郷隆盛)また戦後の政治家でも(吉田茂池田勇人田中角栄等)各時代において必要かつふさわしい人物が輩出しているのです。
 もし人間の歴史の背後に神様の御手が働いていると考えるなら、これらの歴史における不思議な謎は解けるかもしれません。
 実は歴史は英語ではヒストリーですが、これはヒズストーリーから来たもので、ヒズとは大文字で彼すなわちイエス・キリストを指し、ストーリーとは物語です。ですから歴史とはイエス・キリストの物語ということになります。
 つまり過去・現在・未来といった人類の歴史の背後には神様の導きや計画があるのではないかということになるのです。
 さて歴史上で最も不思議な出来事として語り続けられているのが何と言ってもクリスマス・ストーリーではないでしょうか。
 ところが、クリスマスの出来事があまりにも不思議なゆえに、西洋の神話と考える人、あるいは作り話と思っている人も少なくありません。その理由は言うまでもなく、その出来事があまりにも信じ難い出来事だからです。
 けさの聖書箇所もそうです。御使い(天使:ガブリエル)がマリヤに現れたと聞くだけで、ある人は心の中で『あり得ない』と思われるかも知れません。
 しかし、聖書という書物をほんの一部分だけを読んで評価するなら聖書の全体の真意を知ることができないのです
 たとえば、御使いガブリエルは旧約聖書であるダニエル書(8章16節、9章21節)にも登場しているのです。ダニエル書は紀元前、つまりイエス・キリストがお生まれになるおよそ600年前に書かれたものです。
 この御使いについて言えることは、御使いは人間とは違って永遠の存在者(死がない)なのです。ところが、マリヤは、実在の人物として紹介されているのです。つまりマリヤの処女降誕による受胎告知は、人類の歴史の中に神様がご介入された出来事として記録されたゴッドストーリー(神話ではなく神の物語)なのです。
 どちらにしましても、クリスマスには不思議な出来事が満載です。御使いの登場、マリヤの処女の身ごもり、不思議な星の導きによって、ヨセフとマリヤのいるところに来てイエスを礼拝した東方の博士たち。他にもたくさんの不思議な出来事があったのです。 
 まさしくクリスマスは神様のご介入のクライマックスと言えるでしょう。
 中でもイエスの誕生は神のご介入において最も重要な出来事であります。御使いガブリエルによって、男の子が生まれること、イエスと名を付けること(31節)、その子の将来について(32、33節)語られたのです。 
 そのような不思議な出来事に直面したマリヤはひどく戸惑いました(34節)。夜の天空に光り輝く御使いの軍勢を見て、救い主の誕生の知らせを聞いた羊飼いたちはひどく恐れました。
 このように神様が私たちの世界に介入されるというのは、人間にとっては非常に受け入れがたいものとなるのです。
 実はキリストの誕生は何百年前、あるいは何千年前からの神様の約束でした。
 イエス・キリストは、ノアの子どもであるセムの子孫(今から3500年ほど前に書かれた創世記9章26、27節)から、ユダヤの二代目の王であるダビデの子孫として(今から2600年ほど前にかかれたイザヤ書11章1、2節)生まれること、あるいは処女降誕を預言したイザヤ書7章14節、誕生の場所の預言であったミカ5章2節などがあります。誕生の約束だけではなく、十字架の死の預言(イザヤ書53章12節、50章6節)さらには復活の預言です(詩篇16篇10節など)。これらの預言(神の約束)はすべて成就したのです。
 聖書に書かれている神様の約束は、必ず果たされるということなのです。
 さて、今日の厳しい社会のなかで、苦しんでいる人、悩んでいる人、悲しんでいる人、戸惑っている人、将来に不安を抱いている人たちがたくさんおられるのではないでしょうか、そして、人間とは何か、人は何のために生きているのか、人は死ねばどうなるのかといったことを知りたいと思っている人もきっとおられるはずです。
 あるいは自分について悩んでいる人もおられることでしょう。悪いことを考える自分、自分勝手な心、空しさと孤独を覚える心(聖書は、これらは心の罪から来ると言っています)、また、この世の中の不公平や、矛盾に心を痛めている人もおられるはずです。
 皆さんは、これらについての真の解決を捜し求めておられるでしょうか。
 そのような方は、神の約束の書である聖書を読まれることをお勧めします。
 そして、マリヤのように『どうぞ、あなたのおことばどおりにこの身になりますように』と神のことばを素直に受け入れられるなら、御使いが言ったように、『神にとって不可能なことはひとつもありません。』(37節)という聖書の不思議な世界があなたの人生において現実のものとなるのです。
 最後に神が約束されたクリスマスの意義についてお話します。
 イエスとは救いという意味で、人間の罪の問題を解決するためこの世界に来られたのです。
 処女によるマリヤの身ごもりは、イエスは罪のない神の御子であることを証明し、その罪のないイエスが罪ある私たちの身代わりとして十字架で死なれ、私たちが受けるべき神のさばきを受けられ、死なれて三日目に復活されたのです。
 それは罪ある者を赦すことによって永遠の神の御国に行けるようにしてくださったのです。これが神からのクリスマスプレゼントなのです!
 まさに聖書の不思議が信仰によってあなたのものとなるのです。
 ヨハネ3章16節