2013年新年にみことばから教えられたこと

  「イエスから目を離さないように!」 ヘブル12章2節                        岸本栄一牧師

                            
 聖書の中に目という言葉が1107回出て来ます。その目とは、肉眼である目、心の目、霊の目、さらに神様の目であります。まず肉眼の目は大切であるというのは言うまでもないことです。日々の生活で目から入る情報は測り知れません。例えば車を運転している時、意識するしないにかかわらず、どれだけ目を動かしていることでしょう。危険回避のためには、目の役割は非常に重要なのです。
 次に、心の目とは何でしょうか。創世記3章6節においてサタンは、『あなたがたがそれを(木の実)食べる時、あなたがたの目が開け、あなたがたが神のようになり、善悪を知るようになることを神も知っているのです。』と誘惑したのです。『そこで女が見ると、その木は、まことに食べるのに良く、目に慕わしく、賢くするという木はいかにも好ましかった。それで女はその実を取って食べ、いっしょにいた夫にも与えたので、夫も食べた。』のです。
 神様が造られた木だから、エバが見た木が麗しく見えたのは当然であります。そして、彼女が木を見た目は、肉眼の目と心の目で見たものと思われます。しかし彼女は、その木からは取って食べてはいけない、食べると必ず死ぬという神様の警告から目をそらした結果、すべての人類に罪が入るという悲劇が始まったのです。
 私たちもアダムやエバと同様に罪を持つ者です。ですから私たちも、自分の心の目が必ずしも正しく見ている、あるいは正しく判断しているとは限らないのです。物事について凝視し、良く考えることは大切なことです。しかし、それが自分の判断基準や、自分の判断能力だけに頼るなら、アダムやエバのような間違った選択をするかも知れないのです。ある人は、自分は計画通りに、あるいは計算通りに、確実に人生を歩んでいるから大丈夫と言われるかも知れません。しかし神のことばは警告しています。『明日のことを誇るな。一日のうちに何が起こるか、あなたは知らないだ。』(箴言27章1節)と。
 さて、私たちには、目に見えない霊の世界(神が創造された)を見通すことができるという素晴らしい目があるのです。それは霊の目です。聖書にはこの言葉自体は出て来ないのですが、しかし神様の霊に満たされた人は霊の目を持つのです。皮肉なことにサタンは、『あなたがたがそれを食べるその時、あなたがたの目が開け、神のようになり、善悪を知るようになることを神は知っているのです。』(創世記3章5節)と霊の目が開けるよと誘惑を仕掛けたのです。その手口は実に巧妙です。実はアダムとエバはもともと霊的な目を持って神とともに楽園の中で過ごしていたのです!ところが神様の命令に背いて大切な霊的な目が見えなくなったのです。それゆえに彼らは自分たちが裸であることを恥ずかしく思ったのです。
 幸いです。イエス(神様)を仰ぐなら(信じるなら)霊の目が開けるのです。『それは彼らの目が開いて、闇から光に、サタンの支配から神に立ち返らせ、わたしを信じる信仰によって、彼らに罪の赦しを得させ、聖なるものとされた人々の中にあって御国を受け継がせるためである。』(使徒26章18節)
 肉の目や心の目では厳しい状況に思える社会情勢であり、世界情勢です。主の宣教においても先が見えない状況です。そして自分を取り巻く環境においても、どうしてですかと疑心暗鬼の目を持たざるを得ないことが少なくないのです。
 そこでヘブル書の著者は世の誘惑や、日々信仰の戦いに置かれている世のクリスチャンに勧めているのです。『信仰の創始者であり、完成者であるイエスから目を離さないでいなさい。』(ヘブル12章3節)と。そして『主の目は主を恐れる者の上に注がれる。その恵みを待ち望む者に。』(詩篇33篇18節)
 今年も、主から目を離さず、主を恐れて(愛して)歩んで参りましょう!