『悪魔の攻略法』2014年11月30日(日)エペソ6章10ー12節

   「悪魔の攻略法」
       エペソ6章10-12節
     2014年11月30日(日)
 書店に行きますと、何々攻略法という本をよく見かけます。これは、難問題の解き方を解説している本であったり、あるいは何らかの競争や戦いに勝つための秘訣を紹介している本であります。
 人生において、何か難しいことにぶつかり、そしてどうしても避けて通ることのできないような時に、いかにしてその難問題を解決し、またいかにして打ち勝つことができるのかを真剣に考えなければなりません。
 ところが自分ひとりで解決することは難しいことが多く、他の人の協力も必要となってくるでしょう。先ほど言いましたように役に立つ攻略本を探すことも必要となってくるのです。
 さてけさのタイトルは、少々現実離れしているような印象を受けるのですが、悪魔の攻略法については、どの書店においても、だれからも手に入れることのできないものであります。
 この世において唯一聖書からの手に入れることのできる攻略法と言ってもいいでしょう。
 なぜなら聖書は神からのことばだからです。神様こそ悪魔の正体と彼らの策略を知り尽くしておられるからです。というのもサタン、あるいは悪霊もまた神の被造物であることを忘れてはいけないのです。
 しばしば霊の世界の話をリアルに話をする人がいますが、ほとんどの人は霊の世界については無知であり、あるいは知るすべもなく、確かでない情報や知識によって霊の世界について間違った捉え方をしている人がたくさんおられるように思います。
 しかし、この聖書を学んでいきますと、サタンと悪霊の存在、そして霊の世界についての知識を得ることが可能となります。
 特にけさのところは、悪魔の策略に打ち勝つ秘訣が書かれているのです。もちろんこのようなことを知らなくても、神様は私たちを悪魔たちの策略や誘惑から守ってくださるはずです。
 しかし、もし悪霊たちの策略からの攻略法を知らなかったために、彼らの罠に陥るとするなら、それは自分自身の責任でもあり、何よりも自分自身が痛手を受け、だれも神様のせいにすることはできないのです。
 さてパウロがこのような悪魔の攻略法を書いたのには何らかの理由があったはずです。それは私たちたちの魂の安全と魂が祝福されるためです。そのためには、主の教会が守られなければならないからです。
 ではパウロの悪魔に対する攻略法をけさと次回とに分けて学びましょう。
 第一は、『敵を知り、己を知れば、百戦危うからず。』(孫子の兵法)にあるように、敵をよく知る必要があります。
 まず彼らは策略家であることを知らなければなりません(11節)。それはずる賢い戦法を使って来ます。
 第二コリント11章14節『サタンさえ光の御使いに変装するのです。』
 悪魔たちは教会が祝福されるとねたみます。そして教会を駄目にしょうと試みてきます。こんな事例があります。
『ある日、とてもやさしい信仰深そうなご夫婦が教会にやってきました。
 ご主人はリーダーシップのある人で、その口から出る一つ一つのことばに信徒たちは皆感動を覚えていました。奥様も人当たりがよく、いつも笑顔で人と接していました。
 当然このご夫婦は私たちの教会にすぐ馴染み、人気者となっていきました。
 お二人は牧師のためにもよく気を配り、一緒にゴルフをしたり、牧師のよき理解者のように思われました。
 ところがある時、突然ご主人が牧師を非難すると同時に、「自分がこの教会の牧師になったらもっと良いことをする。」と言い出したのです。
 だれもが彼らに親しみを抱いていただけに、教会には大きなショックが走りました。あまりにも予想外の出来事に信徒のすべてが戸惑い、牧師も力を落としてしまいました。
 後で分かったことですが、このご夫婦がニューエイジに深く関わっており、計画的に義人を装ってこの教会に忍び込み、教会をかき乱そうとしていたのです。
 ところが、そんな危機的な状況の中、神様はすばらしいことをしてくださったのです。信徒一人一人が牧師と教会のため、またお互いのために祈るようになり、一致の輪が広がっていったのです。教会をさんざんかき乱そうとした彼らはその輪には入れず、とうとう出て行ってしまいました。
 そして、牧師は倒れることなく、教会は再び明るい雰囲気を取り戻したのです。』
①彼ら(サタン・悪霊)はいつも人々のすきを伺っています。
②目に見えない存在者ゆえに人々に気付かれないように近づいてきます。
③人々(先ほどの夫婦のように)の中に忍び込んで、人々をうまく利用します。
『敵(サタン・悪霊たち)の力を知れば知るほど、神の力が必要となるのです。』
 次は、12節にあるように、悪魔は、血肉の戦いになるように私たちに仕向けてくることを知らなければなりません。
参照:マタイ4章3節〜この所で教えられることがあります。
 それは、サタンは常に肉の誘惑を仕掛けてくるということです。
 3節サタンは、40日間断食をされ空腹を覚えておられたイエス様に、石をパンに変えることは空腹を満たす最もよい方法であると誘惑してきたのです。
 もちろんイエス様にとって石をパンに変えることはたやすいことでした。しかし、ここでイエス様が肉の必要を否定されたわけではないのです。
 当然人が生きるために肉の糧は必要であります。しかし人が生き、生かされるためには霊の糧が必要であることを教えられたのです。
 人はただ食べるために生まれて来たのではなく、食べることの意義を見出すところに他の動物とは一線を引く存在であります。
 言い換えるなら、人は神のことばによって日々生かされ、日々の糧によって生きる者として造られたのです。
 肉の糧が満タンであても霊の糧が窮乏(ガス欠)にならないように注意したいものです。
 5節のサタンの誘惑も3節と共通点があります。それは、イエスは神の子としてこの世界に来られたのですが、人として生きることに躊躇(十字架の苦難を避ける)させようとサタンは誘惑を仕掛けてきたのではないかと思われます。
 天のお父様にすべてのことをゆだねておられたのがイエス様の信仰であります。そのような信仰においては神様を試みる必要は全くないのです。
 最後は、神への信仰を捨てるなら、この世の栄華のすべて与えようと誘惑してきたのです。
 サタンの常套手段とは、信仰とこの世とを天秤にかけて何が損得かを吹聴することです。
 神への信仰においては、物資的な損得に一喜一憂されるのではなく、霊的な祝福にあずかることに心を配ることが大切であります。
 サタンの誘惑は巧妙です。まんまと罠に陥る可能性は常にあります。
 なぜなら私たちは肉の弱さをこの身に帯びているからです。
 攻略の秘訣は,サタンに対するイエス様の対抗手段にあります。それはすべての誘惑に対してみことばを用いられたことです。
 私たちの真の敵は、神様を知らない人ではありません。ましてクリスチャンでもありません。
 にもかかわらず教会に不一致、混乱、さばき、つまずきなどがあるとするなら、背後にサタンや悪霊の策略はないのかを一刻も早くキャッチしなければなりません。
 もちろんクリスチャンにも悔い改めるべきことはないのかを吟味しなければなりません。
 またサタンは祈っても駄目だと思わせてきます。あるいはみことばを読まなくても大丈夫だとささやきます。
 これらはすべて私たちの肉の思いの中に誘惑を仕掛けてくるのです。肉の戦いと思わせて、私たちを敗北させるのです。
 最後(第3)に、サタンや悪霊たちに勝利する秘訣は10節にあります。それは神の大能の力によって強くされないと勧めています。
 それを具体的に説明している箇所が13—20節であります。
 つまり神のすべての武具を身に着けよとのパウロのことばにあります。
 このことについては次回に学びましょう。