『信 仰-信頼して待つこと』 出エジプト記32章1—6節  2015年11/8(日)

   『信 仰-信頼して待つこと』     
 出エジプト記32章1—6節  2015年11/8(日) 
 新発売された人気のある品物を買うためになかには1週間以上も前から順番待ちをしている光景を時々テレビで見かけます。
 私にはとてもできないことです。買い物に行った時でも、少しでも空いているレジを見つけて並ぼうとするタイプです。
 また、人と約束して待てる時間はどれくらいでしょうか。恋人なら1時間でも待てるという人もいれば、とんでもない30分が限界。友達なら15分が限界という人もおられます。
 皆さんはいかかでしょうか。確かに待たされている側の時間はより長く感じるものです。
 さて、モーセシナイ山に登ってからいつ降りて来るのか分からない状況で、イスラエルの民は40日間(24章18節)も待ち続けていたのです。
 むしろ、民はモーセの帰りをよく忍耐して待っていたのではないかと思うぐらいですが、残念なことに待ち切れなかったのです。
 山の麓にいた幾百万の民は、もはやモーセを待ち続けることに限界が来ていたのです。
 いや限界を越えてしまったために、彼らはアロンのもとに集まり、モーセが手間取っているだけでなく、もはや消息も不明だから、先立って導いてくれる神をアロンに求めたのです。
 彼らは、これまで信じていた神は、もはや役に立たず、頼りにならず、当てにならないと主張し始めたのです。
 そのような中で、アロンが彼らの主張を戒めるどころか、かえって彼らの主張を聞き入れてしまったのです。
 アロンが彼らを戒めることができなかった理由として、モーセがあまりにも長い間山から降りて来ないことに彼らは不安になり、我慢できなくなった状況の中で、アロン自身も待ち望むという信仰に立つことができなかったからではないかと思われます(信仰に立てなかったというよりも、民と同様に待ち切れなかったのでは?)。
 この窮地において、アロンにとっての信仰とは『帰って来るまで、ここにいなさい』というモーセのことばに信頼することでした。
  ところが、アロンはモーセのことばよりも民のことばに心が揺さぶられたのです。
 けさは、エジプトにおいてすばらしい神のみわざを見たにもかかわらず、いともたやすく他の神々を求めた彼らの信仰とはどのようなものであったかをご一緒に見て行きましょう。

1.モーセへの依存心が、神様への信頼を希薄にしてしまったのではないでしょうか。
 私が信徒の時に(36年前)、ある信徒が私に「あの社長が教会におられて、またクリスチャンになられたから、私も信仰を持つことができました。」と言われたのです。
 確かに、信仰は色々なきっかけによって導かれるものです。しかし、あの人がクリスチャンだから私もクリスチャンになったのですというのは気をつけないといけないこともあるのです。
 たとえば、もしその人が教会(信仰からも)を離れてしまうと、同じように教会を離れてしまう可能性があるのです。
 その方の場合は、事業をしていたという共通項もあって、その人を目標としていたのですが、その人の信仰生活を見て、教会から離れて行くという結果になってしまったのです。
 たしかに、信仰を持って間もない頃は身近なクリスチャンを見るものです。しかし、やがては私たちの信仰の対象は神様であります。人を当てにしてではなく、神様を当てにして(信頼して)生きるという信仰を持つ必要があるのです。 
 さて、民にとって順風満帆の時は、モーセはすばらしい指導者でした。しかし先行きが曇り始めて来ると、あのモーセは当てにできないどころか、もう必要ないとまで言い出したのです。 『私たちをエジプトの地から連れ上ったあのモーセという者が、どうなったのか、私たちにはわからないから。』 (32章1節)
 もちろん、困った時には人に頼ることも必要です。しかし、いかなる時であっても、離れることなく、見捨てられることなく、守ってくださるお方は神様ですという信仰こそ、民たちが待ち切れなかったという限界を乗り越えさせてくれるものではなかったでしょうか。
 私たちは、人依存から神(みことば)信頼の信仰へとシフトしましょう!
『私は山に向かって目を上げる。私の助けはどこから来るのだろうか。私の助けは、天地を造られた主から来る。』
              (詩篇121篇1、2節)
2.彼らの性急さがモーセを待ち続けることを困難にさせたのです。
 もちろん、民が40日間も待ち続けたことは、評価されるべきことかも知れません。私のように、1人でも少ないレジに並ぼうとするせっかちさと比べるなら、40日間も待ったというのはたいしたものではないかと思うのです。
 ところが信仰によって待つというのは待つ時間や日数や年数ではなく、神様の時を待つということなのです。
 でも神の時を待つというのは非常に信仰が試されるものであります。
         参照:イザヤ書6章11—13節
 イザヤが待望していたメシヤは、彼の時代からなお700年も待たなければならなかったのです。
 そしてイスラエルの回心、つまりイエス・キリストの福音によって救われるのに、今日もなお実現することなく2000年以上の歳月がすでに流れているのです。
 イスラエルの救いは大患難時代において実現するという聖書の預言もあります。
 ということで、私たちの信仰生活において性急過ぎるのは禁物です。
 ⭕私は52歳の時に精神的に追いつめられて、早いうちに退職したいと思いました。
 その時以来日記を書き始めたのです。
 それは数年後に退職するということで、あと何年何日という具合に、毎日過ぎて行く日にちを黒く塗りつぶしていたのです。精神的に辛い時期でしたから、その日(自分で決めた退職の予定日)が来るのを非常に長く感じながら待ち続ける日々を送っていたのです。
 当初は55歳には退職を予定し、55歳になると、次は57、8歳まで何とか頑張ろうと思って、またカレンダーに過ぎた日を黒く塗りつぶしていたのです。そして60歳には退職と思っていたのが、体調も良くなって来て、もちろん皆さんにも支えられ、何よりも神様に助けられてとうとう60歳も越してしまい、今年の9月で定年65歳を迎えることとなったのです。
 あれから13年経ちました。最近つくづく思うことは、性急に退職しないで良かったということです。本当に神様と祈ってくださった兄姉たちや先生方への感謝は尽きません。
 MBのK先生に言われました。『岸本先生、生涯現役ですよ』と。
 待つことが苦手な私です。性格においても性急さが否めない私です。しかし主の時を待つことを心が病むなかで学ばせていただきました。この事が、これからの人生においても役立てればと思っています。 『すべてに時があるのです。』 (伝道者の書3章)
 まさに40日40夜は、民の祝福のために、神様がモーセに律法を備えるためにはどうしても必要な日数だったのです。主の時を待つことは神の祝福を受ける時なのです。

3.彼らの信仰は個人的なものではなかった。
 アロンが民の不平不満を聞いた時に、彼自身のうちに私の主という信仰が確立していなかったのではないかと想像するのです。
 今日のユダヤ人の信仰も同様ではないでしょうか。彼らは民族的な信仰としてのユダヤ教を強調します。しかし彼らが本当に個人的に神様と出会っているのかどうかは、はなはだ疑問であります。
 イエス・キリストを拒んでどうして神様との個人的な交わりが可能でしょうか。
 世界には数え切れない宗教が存在しますが、しかしその宗教の真価は、世界にどれだけの信者がいるかではなく、真実な神様と個人的な交わりが出来ているかどうかにあるのではないでしょうか。
 私たち一人一人を愛されている神様は、一人一人の信仰告白を求められています。
 疑い深かった主の弟子であったトマスは、復活の主を見て『私の主』と告白したのです。
 主イエス様は、私たちひとりひとりの救いのために十字架でいのちをお捨てになられたのです。
 キリストの愛、すなわち神様の愛は誰にでも惜しみなく注がれる愛です。しかも無条件で、普遍であり、不変です。そして永遠なのです。 
 ですから、神様はいつでも、どんなときでも私たちを離れず、見捨てず、共におられるのです。
 私たちは自分の思いの時ではなく、主が定められた最善の時をいつも待ち望みようにしましょう。
 『私たちのたましいは主を待ち望む。主は  
  われらの助け、われらの盾』 
                (詩篇33篇20節)