『神の祝福とこの世の試練』 2015/12/6 —現状を受けとめて対処する— 出エジプト記32章15—35節
『神の祝福とこの世の試練』 2015/12/6
—現状を受けとめて対処する—
出エジプト記32章15—35節
私が信徒の時(35年ほど前)に、滝元明先生を主幹とする年1回のリバイバルクルセードに4回参加しました。3泊4日の集会でした。
教会の皆さんと車に相乗りして、伊豆半島にある天城山荘まで行きました。多い時には10数名参加したこともありました。毎回日本の著名な講師も含め韓国からの講師も招かれていた素晴らしい集会でした。
4日間山荘に泊まって、1日中みことばに触れ、様々な教派のクリスチャンたちの証しを聞き、そして集会の合間にはたくさんのクリスチャンと交わるということで、集会中は非常に魂が満たされ、恵まれる集会でありました。
でも、そのように霊的に祝福された所から降りますと、この世という現実に瞬時に戻るのです。
いかに恵まれた集会に参加したとしても、あるいは神様の祝福に満ちた中にいたとしても、いつまでもそこにとどまれません。再び慌ただしい、何かと苦労のある日々の生活に戻らなければならないのです。
先ほど朗読していただいた聖書箇所の出来事も同じです。モーセは40日40夜シナイ山で、神様から律法や幕屋建設のための詳細な指示を受けていたのです。
その出来事は、天城山荘で神様の祝福を受けた経験をはるかにしのぐものです。
モーセは神様と1対1で交わっていたのです。その体験は筆舌に尽くしがたいものだったに違いありません。
ところが、モーセはシナイ山において、まさに天国の前味わいを経験していた時に、山の麓から聞こえて来た民衆たちのざわめきを聞いて、モーセは非常に動揺したのです。
神様との対面というすばらしい霊的経験から、イスラエルの民の堕落という非常に悲しい現実と向き合わなければならなかったのです。
私たちは本来、嫌なことは起こらない方がいいのです。面倒なこととは関わりたくないのです。できるなら何事も順風満帆であって欲しいものであります。
ところがこの世にいる限りそのようにならないというのが現実なのです。
モーセも厳しい現実を目の前に突きつけられたのです。しかしモーセはその厳しい現実を受けとめて取り組んで行ったのです。
モーセは民の指導者ゆえに直面している問題から逃げ出すことができなかったのです。
リーダーになったモーセは、時としてその大きな責任、重荷、苦悩があるということを自覚するだけでなく、それらを背負っていかなければなりません。しかし、それらは神様から託されたものでもあるのです。
15節を見ますと「モーセは向き直り」と書かれています。他の訳では「身を転じて」と訳しているのです。
誰しもが、いつまでも居心地のいい所に、あるいは安泰で平穏な所に身を置いていたいものです。でも身を転じて、前向きに取り組まなければならない時があるのです。
なかには、ものすごいエネルギーを必要とする課題や問題もあります。
家庭内の親子関係や、嫁姑の問題、老後の問題、病気との闘い、職場、学校、ご近所づきあいにおける難しい人間関係、こじれた人間関係の悩み、突然に遭遇した事件や事故等、枚挙にいとまがないのです(あげればきりがない)。
確かに、この世の中で生きていくためにはどうしても避けられないものもあるのです。
さて、モーセは堕落した民の様子は19節に記されています。そのような民の現状を見てモーセは非常な怒りを燃やしたのです(20節)。
次にモーセの怒りの矛先はアロンに向けられたのです(21節)。当然モーセは山に登る際に、アロンに民の指導を託したはずです。しかし結果は実に悲惨でした。
振り返れば神様によってモーセがエジプト脱出する時のリーダーに選ばれた時に、モーセは、私は口べたでそんな器ではないと主からの任務を辞退したのです。
そこで神様はあなたの口の代わりとしてアロンを助け手とされたのです。そのような任務を受けたアロンであったのに、彼の口から出たことばが22—24節です。
アロンは、モーセの問いに対して言い逃れと言い訳によって自らの責任を民に転嫁しているのです。
残念なことに、兄のアロンよりも弟のモーセの方が神様に用いられる器となっていたのです。
皆さんは自ら進んでリーダにはなりたくないという思いはないでしょうか。
私はこれまでの人生で2回リーダーになることを逃れたのです。1回目は高校入学した時です。その時は担任の先生からクラスの室長を頼まれました。しかし私は断って、副室長ならやりますと言ったのです。やはり室長を担った友達は大変苦労しました。
2回目は、私が53歳ごろには教団副議長から議長という筋書きがあったようです。
ところが52歳の時に心身ともに病み、副議長、議長をすることはありませんでした。
それから10年後に審議委員となりました。後々この10年間という空白期間は私にとっては試練でもありましたが、多くのことを学ぶ機会となりました。
しかし、審議委員会に入らせていただいた時に、最初に感じたことは若い先生方が、すごく成長しておられたことです。確かに10年のブランクは私にとっては浦島太郎のような心境で、10年の経過のなかで教団の中の諸活動の積み重ねがなかったために、話している内容についていけないこともあって、書記の担当は大変でした。
確かに何らかの役を持つのは大変なこともあります。しかしその役を通して多くを学び、そして成長させていただく良い機会となるのではと思うこともあります。
私たちも積極的に教会の働きに加わって行きたいものです。いつまでも同じ人に任せきりではいけないはずです。多少重荷となる役であるとしても、必ずその経験は生かされ益となリ、学ぶことも多いと思います。
さすがに、この局面においてモーセは1人では民の諸問題を背負い切れなかったのです。 当然ですが、兄弟であったアロンやミリヤムがモーセと一緒に活躍すべきでした。
モーセにしてみれば、たとえ民が従わなかったとしても、アロンはしっかりと信仰の立場を堅持して欲しかったことでしょう。
宣教のために、あるいは信徒の信仰の祝福のために共に労することはすばらしいことではないでしょうか。
だれかの信仰生活の助け手となっていければ本当に幸いであります。
教会形成は1人でできるものではなく、また1人でするものではないのです。信徒ひとりひとりの奉仕の精神と、共に重荷分かち合う精神が求められるのです。
さて民の堕落の大きな要因とは何でしょうか。エジプトで見た神様の大いなるみわざは、彼らにとって無意味だったのでしょうか。
エジプトを出てから1年ぐらい経っていたと思われるのですが、イスラエルの多くの民は、すでに神様がなされたことを忘れてしまったのでしょうか。
いやそんなに早く忘れるはずがないのです。彼らが神様にそむいた最大の要因とは、彼らは奇跡をなされる神様を体験したものの、神様には沈黙の時があることを知らなかったことです。ですから、彼らはモーセを忍耐して待てなかったのです。
『今の時のいろいろの苦しみは、将来私たちに啓示されようとしている栄光に比べれば、取るに足りないものと私が考えます。』(ローマ書8章18節)
不安や恐れ、苦しみ、悲しみといった情況においては、信仰が試されるのです。
神様が沈黙される時は、なおさら待ち望まなければならないのです。
「私のたましいは黙って、主を待ち望む。私の望みは主からくるからだ。」詩篇62篇5節
遠藤周作著の「沈黙」の中に、『日本でのキリスト教迫害の最中(1613年)イエスズ会の宣教師が20数年間キリシタンへの迫害が止むことがない中で「神はなぜ沈黙されておられるのか」と何度も問いかけたのです。しかし、その後も200年以上もキリスト教の弾圧(迫害)が続いたのです。』と書かれているのです。
ならばイスラエルの民の忍耐は40日間だったと言えるのです。彼らが待ち切れなかったのは、彼らの心に不信仰が潜み、忍耐し切れないのは神様への信頼の欠如という心が潜んでいたのではないでしょうか。
民の不信仰の刈り取りは、10日たらずでカナンの地に帰れるところが43年間も荒野をさまようことになってしまうのです。それもまた彼らの信仰にとっては必要なレッスンであり、経験しなければならない必要な訓練だったのです。
最後に、罪を犯した民に対するモーセのとりなしの祈りについて学びましょう(30−35節)。
特に32節です。民の犯した罪の赦しのために。モーセはいのちの書から私の名を消してくださっても構いませんと神様と交渉したのです。
もし私に置き換えるとするなら、とんでもないことです。私が日々多くの方のとりなしをさせていただいているのは、私はすでに信仰によって永遠のいのちを頂いて、神様の御国に行く約束を持っているからです。
とてもではないですが、天国の約束と引き換えにだれかの罪の赦しのために自分を差し出すことは到底できないのです。
たしかにモーセのようなとりなしはできません、しかし、永遠のいのちをすでに頂いている者にとっては、とりなしは神様から頂いた栄誉ある重荷でないかと思うのです。退職後もとりなしの祈りの継続が私の信仰のレンジとなりそうです。
モーセが主とともに歩み、主を信頼して、厳しい現状から目をそらすことなく、それを受け止めて取り組んだ姿勢から学びたいものです。