『神が人となられてこの世界へ』ヨハネ1章9−13節15/12/20(日)

『神が人となられてこの世界へ』ヨハネ1章9−13節15/12/20(日)

 The bookを英語の辞書で引くと聖書と訳され、また世界でもっと古い書物と言われているのがこの聖書であります。 この聖書は、今から3500年前のモーセの時代から書き始められ、その後1600年(AD100年)の歳月を経て収録されたものがこの聖書であります。
 さらに、この聖書の中にひとりの中心人物を「この方」という言葉で紹介されているのです。
 聖書全体には「この方」という言葉が152回出てきます。英語ではHe・heと訳され、ヨハネ福音書では30回(聖書全体の20%を占めており)、1章9節−13節で5回繰り返されています。
 そしてヨハネ福音書の著者であるヨハネは「この方」こそ主イエス・キリストであり、クリスマスの主人公であると紹介しているのです。 
 ヨハネは、漁師として裕福な生活を送っていたのですが(網元)、ある日のことイエス様に「わたしについて来なさい。人間をとる漁師にしてあげよう」と声をかけられ、すぐさま生活の糧を得ていた網を捨て置いてイエスに従い、弟子となりました。
 これまでの生活を保証していた漁師の仕事を捨て、すぐに従うほどにイエスには何か大きな魅力があったようです。
 さてその後、イエスヨハネを含めて12人の弟子たちはユダヤ全土を伝道したのです。そして、弟子たちだけでなく多くの人々が、イエスの権威ある教えと多くの奇跡のみわざを見て驚いたのです。 
 真夜中に荒れ狂う湖を静められたイエスを見て、「風や湖までが言うことをきくとは、いったいこの方はどういうお方なのだろう」(マタイ8章27節)と驚いたのです。弟子たちのみならず、多くの人々が、この方は一体誰なのかという疑問を持ち始めたのです。
 そこで弟子の一人であったペテロは、「あなたは神の御子キリストです。」と告白しました。そして弟子たちは、権威ある教えと奇跡をなされるイエスの弟子であることに光栄と誇りを持ったのです。
 ある日のこと、ヨハネヤコブの母が(随行していた)、彼らと一緒にイエス様のもとに行って、ひれ伏して、お願いをしたのです。
 イエス様は彼女に「どんなお願いですか」と聞かれると、彼女は「私のこの二人の息子が、あなたの御国(ユダヤの王国)で、ひとりはあなたの右に、ひとりは左に座れるようにおことばをください。」とお願いしたのです。
 それを聞いたイエスは、「あなたがたの間で偉くなりたいと思う者は、みなに仕える者になりなさい。あなたがたの間で人の先に立ちたいと思う者は、あなたがたのしもべになりなさい。」と彼らを戒められたのです。
 いつの時代も同じです。我が子の将来は気になります。将来我が子が立派になってくれることを心から願うのが親であります。
 息子たちは安定していた仕事を捨ててまでイエスに従って来たのだから、当然それに見合う、あるいは、それ以上のものをいただけると彼らだけでなく、他の親や弟子たちも思っていたのです。
 その時に弟子たちが共有していたものとは、この方に従って行くならきっといいことがあるという打算的な思いや野心でありました。
 さて、イエスがなされた奇跡の噂が人々の間で広がって行き、イエスの人気は最高潮になりました。しかしこの時を境にイエスの人気に陰りが出てきたのです。
 それは、イエスご自身の口から、「わたしは天から下って来た神の御子キリストです。」と言われたことによって、そのことを耳にした当時の宗教家たちがイエスを神への冒涜(石打ち刑)だと非難したのです。
 それ以来イエスは命を狙われる身となり、ユダヤの英雄から一転神の冒涜者という罪名と汚名を着せられてしまったのです。
 それから(不人気時代)1年半後にイエスの行き着いた先は、ユダヤの都であるエルサレム郊外のカルバリ山でした。 
 そこには3本の十字架があり、両端には極悪人、真ん中に、頭にはいばらの冠をかぶせられ、両手両足を釘付けされ激痛に耐えておられるイエスがおられたのです。
 イエスが捕らえられた時に、逃げてしまった弟子たちのうち、ヨハネはイエスの十字架のそばにいたのです。そこでイエスから母マリヤを、あなたの母とするようにと言われたのです。
 6時間にわたる断末魔の苦しみの後にイエスは息を引き取られ、当時町の有力者であったアリマタヤのヨセフが買っていた大きな墓に葬られたのです。
 弟子たちにとってイエスの死は、まさに失望落胆と絶望でした。しかし悲しみに暮れたのはわずか3日間でした。
 というのは、イエスが生前に弟子たちに言っておられたように、イエスは三日目に死からよみがえられたのです。
 このようにイエスは死から復活され、ご自身が神の御子であることを多くの人々(500人以上)の前で明らかにされたのです。
 さてヨハネは、イスが死なれた後、また元の漁師に戻ろうと思っていたのです。もちろん生活がかかっているからです。
 しかしよみがえられたイエスに出会って、彼はこの方とともに生涯生きていこうと再決心したのです。
 3年半ほど前に、ヨハネは網を捨ててキリストに従いました。しかし当初の打算的な目論見は見事に砕かれたのですが、キリストの復活によってヨハネは失望落胆から希望の生涯へと変わったのです。
 またイエスを3度も知らないと否んだペテロも復活のイエスを見て、「あなたがたはイエス・キリストを見てはいないけれども愛しており、今見てはいないけれども信じており、ことばに尽くすことのできない、栄えに満ちた喜びにおどっています。これは、信仰の結果である、霊の救いを得ているからです。」と確かな信仰に至りました。
 さらに不正な税金取りであった弟子のマタイも、「この方こそ、ご自分の民をその罪から救ってくださる方です。」と信仰を告白し、当時医者であったルカは「きょうダビデの町で、あなたがたのために,救い主がお生まれになりました。この方こそ主キリストです。」とイエスについて紹介したのです。
 イエスとは「救い」という意味であり、キリストとは油注がれた王という意味であります。聖書に出てくる「この方」こそ主イエス・キリストなのです。
 イエスが生まれる600年前あるいは1000年前の旧約聖書の著者は「この方」のことを次のように紹介しています。
 「見よ。この方こそ、私たちが救いを待ち望んだ私たちの神。この方こそ,私たちが待ち望んだ主。その御救いを楽しみ喜ぼう。」(イザヤ書25章9節)
「この方こそまさしく神。世々限りなく我らの神であられる。神は私たちをとこしえに導かれる。」(詩篇48篇14節)
 イエス・キリストは、今から2000年前に処女マリヤを通して人となられてこの世界に来られたのです。
 きょうここにおられるみなさんも、弟子たちに声をかけられたように、イエスはわたしを信じて、わたしについて来るようにと招いておられるのです。
 いつ襲ってくるかわからない大地震や異常気象による甚大な災害。将来における様々な不安(病気、老後、仕事、家族、世界規模で拡大してきた戦争やテロ)に包まれています。
 確かに私たちを取り巻く環境は決して良いとは言えません。
 では、だれしもが安心して生きられる場所を探しますか。でもこの世界に真の安息の場所があるのでしょうか?

 神の御子が人となられ、私たちの罪のために十字架で死なれ、三日目に死からよみがえられたキリストを信じるなら、すべての罪が赦され、とこしえのいのちを持って、死んだのちも、平和で安全で喜びと祝福に満ちた天の御国に移されるのです。
 これがクリスマスの最高のプレゼントなのです。
 皆さんも、神様からの素晴らしいクリスマスプレゼントを是非受け取っていただきたいのです。