2016年4月3日(日) MB港キリスト教会にて メッセージの要約 

 「心配しないように!」マタイ6章25−34節
エス様は、「自分のいのちのことで、何を食べようか、何を飲もうかと心配したり、また、からだのことで、何を着ようかと心配してはいけません。」と語られました。今日の日本において、食べる、飲む、着ることに事欠くというのは余程のこと。ですからイエス様が言われた「心配してはいけません」というメッセージは現在の私たちに通じるでしょうか。
 実はイエス様の時代よりも今日の方が、はるかに心配事が多いのです。次から次へと心配の種は尽きません。心配事や不安が多い生活環境の中で「心配しないように」というイエス様のメッセージは大きな信仰のチャレンジなのです。
 では、イエス様が心配しなくてもいいと言われた根拠はどこにあるのでしょうか。第一の根拠は26節の「空の鳥を見なさい」というメッセージにあるのです。その単純なメッセージの中に神様の偉大さが隠されているのです。 
 イエス様は、空の鳥を見て天におられる神様の事をよく考えなさいと言われたのです。ここでの鳥は複数形ですから群れをなしている鳥たちのことです。それらを養っているのは誰なのかをよく考えなさい。あなたたちは、それらの鳥よりももっとすぐれたものではないですか、だから心配しないように!
 第二の根拠は「野のゆりがどうして育つのか、よくわきまえなさい。」というイエス様のことばにあるのです。野のゆりの優雅さは人手によらず、野のゆりだけでなく、自然界に存在するものは神様のデザインによるのです。
 ところが、きれいに着飾ったゆりの花のいのちは実に短くて、はかないのです。そのような花でさえ神様の英知と心配りを知る。なおのことあなたたちに心をかけないはずがない。だから信仰を働かせなさい。つまり神様を信じて生きるように!
 人は神様と関わって(知って)生きるなら、たとえ心配や思い煩いや不安があっても、神様がともにいて助けてくださるのです。ですから必要以上に心配しなくてもいいのです。
 農家の人たちは、たとえ天候による不安や心配があったとしても種を蒔きます。あとのことは農家の人たちにはどうにもできない天任せという領域があるのです。その領域こそ33節です。それは信仰の領域です。神様のことを優先(第一に)して、あとのことは神様にゆだねなさいというメッセージです。
神の国とその義とをまず第一に求めなさい。そうすれば、それに加えて、これらのものはすべて与えられます。」