2016年4月17日(日)MB港キリスト教会にて メッセージの要約

 『ダビデの祈り』 詩篇4篇1—5節  2016年4月17日(日)
  ダビデ詩篇には、多くの試練や苦悩の証がある。だからこそダビデ詩篇には多くの祈りがあるのです。では、ダビデの祈りとはどのようなものか。
 第1は、ダビデにとって生きることは祈ることでした(1節)。ダビデにとって、悲しみや苦しみの多い人生を乗り越えて生きて行くためには祈りが不可欠でした。そして、ダビデがいかなる苦しみの中あってもつぶやかずに祈ることができたのは、どのような苦しみの中にも最善をなさなれる神様をよく知っていたからです。
私たちもダビデのように生きることと祈ることが生活の中で一体化するなら、その人は神様からの最善を享受できるのです。
 第2は、ダビデにとって祈ることは神を深く知ることでした(2−4節)。
「よく祈る人は、よく学んだことです。」と宗教改革者マルチンルターのことばです。では、よく祈る人は何を学ぶのか。それは、知識によって得た神を学ぶというのではなく、祈りを通して生きておられる神を体験的に学ぶのです。
私が神学校を卒業し牧師となったとき、神学校で学んだ知識だけでは解決できない問題や、自分の力ではどうにも出来ないことがたくさんあったのです。その時に学んだことは祈る大切さです。祈りこそ神様を知る最善、かつ最短の学習方法であるということを習得したのです。    
第3は、ダビデにとって祈りは、神様に信頼することと同義語です(5節)。
まさに祈ることは、神に信頼しているという証です。もし私たちが神様に信頼し切れないとするなら何が原因でしょうか。一番の原因は、知っているようで実は神様についてよく知らないということにあるのではないでしょうか。
ダビデは多くの苦しみの最中によく祈りました。そのことによってダビデは体験的に神様について多くを知り、多くを学んだのです。
 さて、ダビデの人生における様々な試練や困難は、彼の神様への信頼度をテストするだけではなく、ダビデを祈りの人に向かわせる(駆り立てる)ものではなかったでしょうか。
今日の世界情勢の不穏、地球規模で起きる自然災害の脅威、あるいは人々の魂の状態を思うとき、いずれをとっても神様を知る私たちクリスチャンを祈りへと向かわせるものがあまりにも多くあるのではないでしょうか。神様を信じている者へのチャレンジのことばです。“主により頼む人とは、熱心に祈る人です”