「良い実を結ぶために」 ルカ8章4―15節 2017/5/7 「癒されると信じて」 ルカ8章40節―48節 2017年5月21日(日)港キリスト教会

   「癒されると信じて」 ルカ8章40節―48節 2017年5月21日(日)港キリスト教
 今日のネット社会は、人との関わりがますます希薄になり、さらに便利さを求める現代社会は、神様は必要ないという気運が高くなっていくのではと危惧する。反対に、人生における試練は喜ばしいものではないが、神様を求める機会にもなる。 
 12年間の長い患いの治療のために、自分の持ち物をみな使い果たし、多くの医者にひどい目に会わされ、かえって悪くなる一方であったひとりの女が、もはや人の助けが当てにならない追い詰められた状況の中、イエスに出会って癒された。

 まず第1に、この箇所から教えられることは、彼女はイエスへの信仰を行動に移したことである。他の箇所では、『「お着物にさわることでもできれば、きっと直る(救われる)。」と考えていたからである。』と書かれている。
 彼女は群衆の中に紛れ込んで、恐る恐るイエスのもとに近づいた。それは、当時長血は汚れた女として扱われていたためである。でも、彼女のイエスの着物に触れれば必ず直るという信仰が行動となった時、イエスはこの女の信仰を見逃されなかった。
 女がイエスの着物のふさにさわった時、たちどころに彼女の出血が止まった。もし彼女が信仰の思いだけに留まっていたなら、いくら熱い思いがあっても神様には伝わらず、癒されなかったはず。信仰からくる思いは、行動となって初めて神様に伝わり、答えられる。

 第2は、彼女の信仰がイエスの心を動かした。大勢の人が、ひしめき合う中で、イエスは「わたしにさわったのはだれですか」と言われた。彼女が信仰を持ってイエスの衣にさわった時、イエスは彼女の病気がいやされたことに気づかれた。彼女の信仰がイエスの心を動かし、その結果彼女は癒された。
 
 最後に、信仰は一時的なものではなく生涯的なものである。
 彼女は主に癒された時、黙って立ち去ろうと考えた。しかし、主はそれを良いとされず、むしろ彼女の病が癒されたことを公にしょうとされた。それは、彼女の病気が、完全に癒された事を人々の前に明らかにされるためであり、もう一つは、彼女が、これから先、信仰者として生涯を歩むようにとの主のお気持ちがあったからではないだろうか。
 もちろん、イエスに癒される信仰は大切である。しかし、それ以上に主を信じて、主とともに生きることが、もっともっと重要なことである。人は病気になったり、何か困ったり、苦しい事があると神様を求めるものです。しかし、問題が解決すると神様のことを忘れやすい。
 では、私たちの信仰はどうでしょうか。人生が順風満帆であっても、あるいはそうでなくても、私たちは揺り動かされることなく、神様を信じ、神様により頼みましょう。たとえ、小さな信仰であっても、神様はいつもともにいてくださり、常に私たちを導いてくださり、またどんな時でも助けて下さる。



 「良い実を結ぶために」 ルカ8章4―15節 2017/5/7
エスの種まきのたとえから、良い実を結ぶための秘訣について学びましょう。
1.種が道端に落ちるとは、みことばを聞くが、悪魔が来て、みことばをその人の心から奪い去った結果、神の救いを受け損なう。では、道端とはどの様な心の状態を表すのか。それは、神を全く否定する心であり、神のことばを軽んじ、無視し、否定する心です。
2.次に、種が岩の上に落ちるとは、みことばを聞いた直前は、喜んでみことばを受け入れるが、試練や迫害が起こるとすぐにつまずき、信仰から身を引くのです。その原因は、岩地に蒔かれた種が根付かなかったからです。つまり、信じたみことばがその人の心の中に深く根を下ろさなかったからです。
 では、良い実を結ぶためになすべきことは。
 3.良い実を結ぶために、種が蒔かれた所にいばらがないのかをチェックする。いばらに蒔か 
 れた種が、実を結ばないのは、種は成長するのですが、いばらも一緒に生え出て、種の成長を 
 妨げ、実が熟するまでいかないのです。いばらに蒔かれた種の真理とは、みことばを聞いても、
 生活での心配、思い煩い、様々な欲望に惑わされて実が結ばないのです。
4.良い実を結ぶためには、良い地に種が蒔かれているかをチェックする。道端、岩地、いばらの 
 いずれも、取りあえずみことばを聞いているのですが、みことばを聞いたあとが大切です。
  では、良い地に蒔かれた種(みことば)が多くの実を結ぶための秘訣とは。
① みことばを聞いて(そのあと)、それをしっかりと守る。
 「いや、幸いなのは、神のことばを聞いてそれを守る人たちです。」(ルカ11章28節)
② みことばを聞いて(そのあと)、それを守り続けるけるためには忍耐が必要です。
 「あなたがたが神のみこころを行って、約束のものを手に入れるために必要なのは忍耐で
す。」(ヘブル10章36節)
 さて、信仰生活において、神の答えやみこころを早く知りたいと性急になるのは要注意。なぜなら、私たちは物事の結果の良し悪しにとらわれやすいからです。良い実を結ぶためには、まず聞いたみことばをしっかりと守り、そして、忍耐して持ち望むというプロセスが大切である。