「神様が喜ばれる選択」-なくてはならないもの- ルカ10章38節―42節 港キリスト教会  17.8/6

「神様が喜ばれる選択」-なくてはならないもの- ルカ10章38節―42節
 ベタニヤという山村にあるマルタとマリヤ、兄弟のラザロの家に、イエス様と弟子たちが招かれた。姉のマルタは接待のために、イエス様の足元でお話を聞き入っていた妹のマリヤを見て苛立ち、イエス様に、「マリヤも手伝うよう言って欲しい」とお願いした。ところがイエス様はマリヤの選択を喜ばれた。さらに、マルタになくてはならない大切なこととは何かを教えられた。
まず、マルタの言動を見ると(40節)、マルタが自分だけが忙しくて、食事の準備に手間取っているのに、マリヤは、イエス様のお話を聞いているという態度に苛立ち、マリヤも手伝うようにイエス様から言って欲しいとお願いした。それに対してイエス様は、「マルタ。マルタ。あなたは、いろいろなことを心配して、気を使っています。」と言われた。ここでイエス様は、マルタの言動は良くないと責めたり、叱ったりはしておられない。マルタ。マルタと2回も呼びかけられたことからも推測できる。それは、叱責ではなく、マルタの魂(心+霊魂)にとって大切なケアー(配慮)と理解すべきではないか。確かに忙しいという漢字は、心が滅びると書く。マルタは、忙しさのために、あれこれと心労し、苛立ち、イエス様のために喜んで奉仕をするという初心を忘れ、喜びも失っていた。実はこの魂へのケアー(配慮)は、今日の私たちにも、非常に大切なものである。忙しいことが悪いというのではなく、忙しさのゆえに、大切なことがなおざりになっていないのか(忘れてはいないのか)がチャックポイントである。たとえ正当な理由で忙しくして時間が取れないとしても、あなたの魂の状態を顧みない。放置する。また無関心であるのは、早晩心身ともに大きなダメージを受ける。私たちの魂をいつも健全に保つために、祈りとみことばは不可欠である。場合によっては、牧師や信仰の友からのアドバイスを受けることも大切である。 
次に、なくてはならないものとは何か。「しかし、どうしても必要なことはわずかです。いや一つだけです。マリヤはその良い方を選んだのです。」(42節)。42節も41節と同様、イエス様からの魂への大切なアドバイス(助言)である。
では、マリヤにとっての必要とは何か。つまり、マリヤがイエス様のお話を聞くことは、忙しくしているマルタを助けることよりも大切(優先)であったということである。それは、マリヤは自分の魂の必要のために良い選択をした。もちろんマリヤがマルタのために、手伝うという選択肢も間違いではない。
魂のケアーとアドバイスについては、信仰の世界だけでなく、忙しく、ストレスの多い現在社会において、心のゆとりを無くし、不安や焦りや心労が尽きない。なかには、すぐに切れてしまって大切な人生を一瞬に台無しにしてしまうという人が後を絶たない。ある精神科のクリスチャンドクターは、『これらのこと(現在社会の厳しさ)を受け入れて生きる中で、人は成長する。そして、人は神様を必要としている。それは、具体的には慰めに満ちている神のみことば、また励ましを与える神のみことばを必要としている』と語る。
マタイ4章4節で「人はパンだけで生きるのではなく、神の口から出る一つ一つのことばによる」と主イエス様は教えられた。私たちが普段忘れがちな魂の健全さを保つために、みことばは(祈りも)、私たちの魂(心と霊魂)にとってなくてはならないものである。主イエス様は、「マリヤはイエスの足元に座って、みことばに聞き入っていた。」マリヤの選択を喜ばれた。