「どうして心配するのか」 ルカ12章22−34節 2017年10月15日(日】 港キリスト教会

    「どうして心配するのか」 ルカ12章22−34節 
 イエスは弟子たちに、自分ではどうにもできないことを心配しないようにと勧められた。では、イエスが心配しないで良いと言われた根拠はどこにあるのか。
Ⅰ.神を信じているから(23−26節)。
 イエスは、人間が他の生き物よりもいかに優れているかを教えるためにカラスを例にして話された。確かにカラスは賢い鳥である。しかし、作物を育て、刈り入れ、保存するという知恵はないが、神はこの世に棲息する全ての生き物に心を配っておられる。イエスは、「神が彼らを養ってくださいます。あなたがたは、鳥よりもはるかにすぐれたものです。」と言われた。「はるかに優れている」とは、その存在価値が他の生き物より秀でていることである。とはいえ、人は自分の寿命を延ばすことはできない。しかし、神にとってそれは全く小さなことである。そのような神を信じているのだから、あれこれと心配しなくても良いとイエスは言われた。
Ⅱ.神はどのようなお方か知っているから(27−28節)。 
 マタイ6章でイエスは、「野のゆりがどうして育つのか、よくわきまえなさい」と言われた。それは、物事をよく観察し、よく考えなさいということである。私たちは日常、目に見えるものを漠然と見ている、あるいは見過ごしていることはないか。時には目を凝らし、よく観察し、熟慮する機会も必要である。それは、神からのメッセージをキャッチするためでもある。例えば、みことばをよく観察し、よく学び、実行する中でより深く神を知ることによって心配ごとから解放されていくのである。
Ⅲ.神は私たちの必要を知っておられるから(29−30節)。
 ヨナは、異教のニネベの人々が、神に滅ぼされることを伝える預言者であった。ところがその預言が成就されず、ヨナは非常に不機嫌になった。しかし、神はヨナを慰めようと、暑い日差しからヨナを守るために、とうごまをヨナのために備えて不機嫌を直そうとされた。次に神は、とうごまを枯らせたために、太陽が彼を照り続け衰えだし、ヨナは再び神に怒った。
 その時、神はヨナに「あなたは、自分で骨折らず、育てもせず、一夜で生え、一夜で滅びたこのとうごまを惜しんでいる。まして、わたしは、この大きな町ニネベを惜しまないでいられようか。そこには右も左もわきまえない12万以上の人間と、数多くの家畜がいるではないか。」と語られた。神は、自分勝手で気まぐれなヨナの命を守られ、不機嫌なヨナを慰められた。また、暴虐な異教徒を滅びから救われた。いかなる状況であっても、ヨナやニネベの人々になされた神の愛とご配慮を思い出すなら、不必要な心配は無用である。誰一人神の愛とご配慮に漏れることはない。
「私たちのすべてのために、御子さえ惜しまずに死に渡された方が、どうして、御子と一緒にすべてのものを、私たちに恵んでくださらないことがありましょう。」(ローマ書8章32節)