「最後の晩餐の意義(Ⅱ)」ルカ22章14−23節 2018.7/1(日) 港キリスト教会

「最後の晩餐の意義(Ⅱ)」ルカ22章14−23節
  
 イエスは弟子達に、全人類の救済を意味する聖さんの時を、世の終わりまで(主の再臨まで)持ち続けるようにと命じられた。それゆえに、聖餐の意義を知ることは重要である。

 晩餐の第1の意義は、福音宣教にある。どんなに罪深い人間であっても、キリストを信じるなら、罪ゆるされ、神の子どもとされる。それは福音を信じたからである。それは言うまでもなく、だれかから福音を聞いたからである。
 ですから、この聖餐に与るたびに、キリストの十字架による救いの福音をお伝えするという尊い使命があることを忘れないようにしたい。

 晩餐の第2の意義は、神に感謝することにある。聖餐は原語で、「ユーカリスト」とも訳される。これは「ユウカリステオ:感謝する」という言葉から来ている。イエスは、私たちの罪の身代わりによる十字架の死を覚悟されて、パンと杯を取って天の父に感謝して祈られた。ところが、私たちは苦しい状況や、厳しい状況の中でも神様に感謝できるのかを試みられる。
 翻って主は、十字架の苦難を前にして、父なる神に感謝されたのは、天の父がどのようなお方かをよく知っておられたからではないか。
 それは、死からよみがえらせることのできる父なる神への絶対的な信頼から伺える。でも、私たちは神様を信じているのに、感謝できないことがあるかも知れない。それでも、必ず感謝できる時が来るという信仰を持って、主の聖餐に与りたい。

 晩餐の第3の意義は、神の赦しにある。イエスを裏切ったユダは、キリストの内に神を見ることのできる一番近い所にいたのに、神に背き続け、赦される機会を逃して自ら命を絶った。
 
 では、すでに神に赦されているのに、赦しの確信のないままクリスチャン生活を送ってはいないだろうか。もしそうなら、キリストの十字架による救いの事実から、神に赦されているという確信をしっかりと持って、主の聖餐に与りましょう。

 「このキリストにあって、私たちはその血による贖い、背きの罪の赦しを受けています。これは神の豊かな恵みによること  です。」(エペソ1章7節)