2013年元旦礼拝 『天地の造り主』 使徒の働き17章16−34節

『天地の造り主』    2013年元旦礼拝
         使徒の働き17章16−34節 
 昨年は山中教授がノーベル物理学賞に選ばれました。iPS細胞の移植の成功によって、特に難病に苦しむ人たちの光明となるのではないかと注目されています。これからも医学分野は目覚ましい発展を遂げて行くと思われます。いつしかガンは治る時代が来るかも知れません。
 そして、さらに科学技術は進歩することでしょう。また文明の発展は人々を驚嘆させ、新しい夢をもたらせるかも知れません。
 しかし人間の心の内面は科学分野の発展や成長と伴って行くのでしょうか。答えはノーです。毎年増え続ける犯罪、しかも殺人が日常茶飯事になって来ていることが恐ろしい限りです。親による幼児虐待どころか幼児殺害にまで及んでいるのです。相変わらず増え続ける自殺者、詐欺、いじめの問題のほか数え切れないというのが犯罪の現状です。
 では何か策を講じて、少しでも犯罪を減らすことが可能なのでしょうか。もちろん対症療法は可能です。しかし根本治療に至るのは難しいと思います。なぜなら人間の本質を知らずして、正しい対応は難しいからです。
 では人間の本質とはどのようなものでしょうか。それは、私たちを造られたまことの生ける神様から離れて、自己本位(自己中心に)に生きているということです。
 しかも、それはアダムによる罪をすべての人類が引き継いでいるという現実であります。
 この現実に目を向けないで、人間の心の闇の問題の解決はないのです。
 つまり神様を抜きにして、人間の本質は語れないばかりか、人間の心の闇である罪という問題を解決することができないのです。
 反対に、もし神様を知るなら、人類が抱えている様々な問題や悩みや疑問に答えを得ることができるのです。
 けさの聖書箇所でイエス・キリストの復活の証人であるパウロという人物は、偶像に満ちたギリシャアテネにおいて、天地の造り主とはこのようなお方であると語っている所であります。
彼のメッセージを要約すると
Ⅰ. 神は天地の造り主であり、万物のいのちの付与者です(24、25節)。
Ⅱ. 神は人間の歴史を支配され、導かれるお方です(26節)。
Ⅲ.神は目には見えませんが、永遠に存在しておられるお方です(27、28節)。
Ⅳ.神を目に見えるものに造り、拝んではいけない。また仕えてもいけない。もしそのようにしているなら悔い改めて、まことの神を信じましょう(29、30節)。
Ⅴ.やがて、神は世界をさばかれるのです(31節前半)。
Ⅵ.目に見えない神様を、目に見える姿で来られた方が、イエス・キリストです。このお方が神の子である証拠は、復活によって分るのです(31節後半)。
これがパウロのメッセージの内容であります。
 では、けさ私たちはこのメッセージから何を学べば良いでしょうか。
第1は、やがて土に帰る人間にではなく、私たちを造られた神様をあがめて生きて行くことです。
第2は、歴史に左右される人間にではなく、歴史を支配され、導いておられる神様に望みを置いて生きて行くことです。
第3は、自己愛に生きる人間ではなく、人間の罪からの救いのために御子キリストをお与えくださった愛なる神様を信じて生きて行くことです。
 さて、パウロアテネでの伝道によって神様を信じた人は少なかったようであります。他の地域よりも伝道の収穫がなかったのです。
 その理由は19−21節にあります。日本の国も共通点があるのです。
 それは、話しの内容が自分たちにとって耳障りのいいことは聞く価値があると考えるのですが、犠牲が伴うとか、世間体に関わるとか、常識を逸するとか、これまでの自分の生き方に不都合が生じるとなると心を閉じてしまうのです。
 32節『死者の復活のことを聞くと、ある者たちはあざ笑い、他の者たちは、「このことについては、またいつか聞くことにしょう。」と言った。
 こうして、パウロは彼らの中から出て行った。しかし、パウロに付き従って信仰にはいった人たちもいた。
 それは、アレオパゴスの裁判官デオヌシオ、ダマリスという女、その他の人々であった。』
 死者の復活(イエス・キリスト)をあざ笑う人は、死後の世界において永遠に悲しみ苦しむことになるのです。神を信じる決心を延期することによって、救いの日となるというチャンスの時を永遠に逃してしまうのです。
 しかし、イエス・キリストを救い主として信じを受け入れるなら、神様の素晴らしい永遠のいのちと天国という賜物を手にすることができるのです。
 アレオパゴスのデオヌシオは、当時において、30人足らずの人々によって構成されていた裁判所の裁判官で、アテネの知的貴族階級に属する一人であったと思われる人物です。
 もう一人のダマリスという女性は、当時の状況からして推測できることは、この婦人は恥多き生き方を捨てて救いの道を選びとったものと思われるのです。
 いずれにしても、まことの神を知ることは、人間の本質に気づき、神からの救いのチャンスを逃すことはないのです。
 この新しい年も、天地を造られた神様を大いにあがめて行きましょう。そして私たちを日々良きに導いてくださることを信じて行きましょう。
 また、私たちは自己愛に生きやすいものですが、キリストの愛に満たされて、日本の魂の救いのために祈り続ける者であり、勇気を持って福音を伝える者となりたいものです。