『神のしもべになるための訓練』 出エジプト記2章16−25節 2015.2/1(日)

   『神のしもべになるための訓練』
出エジプト記2章16−25節 2015.2/1(日)
 モーセの120歳の生涯を大きく3つに区分することができます。まずエジプトでの40年、そしてけさ学ぶところのミデヤンでの40年、そしてエジプトからの解放者としての40年です。
 まずエジプトでの40年間は、エジプトの王家で帝王学を徹底して教えられました。そして当時の最高の学問のすべてを身に付けたのです。
 ところがモーセは、同胞がエジプト人に打たれているところを目撃して、激昂してエジプト人を殺害したのです。恐れに包まれたモーセはミデヤンの地に逃亡します。モーセにとってミデヤンの地は親戚(アブラハムの子孫)がいる地でありましたが、エジプトでの何不自由のない生活と、砂漠の厳しい環境は雲泥の差があったはずです。
 そして彼の仕事は、義父(チッポラとの結婚で)の羊を飼う仕事でした。その仕事も40年の月日が過ぎていたのです。
 けさの所からは、モーセがどのような思いで40年間を過ごしたのかは記されていません。モーセは退屈な日々を過ごし、人生の目的を失い、あるいは人生の意義が見つからない退屈な40年だったのでしょうか。
 将来のことを考えることもなく、私の人生はこのようなものだといったあきらめと惰性の日々を送っていたのかも分かりません。
 とはいえ、モーセはせめてこの地で小さな幸せを見つけ、少しでも前向きに生きる努力をしていたのかも知れません。
 このような状況においては、かつてモーセが抱いていた同胞のために尽くすべき使命はすでになくなっていたことでしょう。
 しかし、神様はどんな状況においても、ご自身が約束されたことを決して忘れられるお方ではないのです。
 23−25節で、エジプトの奴隷による苦役の中にあるイスラエルの悲痛な叫びに心を留められたのです。さらにエジプト人を恐れてミデヤンの地に逃げたモーセにも目を留めておられたのです。それは、モーセをエジプトからイスラエル人を解放する指導者となるための訓練の場とされていたのです。
 ではモーセはミデヤンの地でいかなる訓練を受けていたのでしょうか。
 まず第1に欠乏という体験です。第2は孤独という体験です。最後は神との深い交わりという体験であります。
 まず第1の欠乏という体験について見ていきましょう。
 このモーセにとって、エジプトでの40年間の生活はどのようなものであったかは言うまでもないことです。エジプトの宮廷における食生活は、モーセにとっては贅沢三昧でありました。必要なものは何でも手に入れることができる豊かさの頂点にいたのです。そして当時の世界における最高の教育はモーセの人格形成に大きな影響をもたらしたことでしょう。
 そのような超ハイクラスの環境から一転、ミデヤンの砂漠地は、モーセにとってはあまりにも格差のある生活環境に追いやられるものでありました。 
 毎日食料と水は労して確保しなければなりません。しかしこの欠乏という経験はモーセにとっては貴重かつ必要な経験であったのです。
 というのは、やがてエジプト脱出において、避けて通ることのできないシナイ半島の荒野という厳しい環境の中を40年間も生き抜くためにはどうしても必要な訓練であったのです。
 もちろん豊かさの中で学ぶこともたくさんありますが、欠乏の中で学ぶことはより多くあるはずです。
 私たちも水不足の時、普段余りありがたみを感じない水がどれほど貴重なものであるかを経験します。
 また欠乏の中にあっても、与えて下さる神様の恵みに心から感謝ができるようになるのです。そして欠乏の中で物を大切にすることを学びます。さらには欠乏の中で、共に分かち合う大切さを学びます。
 エジプト脱出後、神様が日々与えられたうずらやマナに、多くの民は食べ飽きたとつぶやきましたが、モーセは感謝したことでしょう。モーセにとってミデヤンの地での欠乏と言う訓練は、シナイの荒野で生かされたのです。 
 今私たちが何か欠乏、あるいは足りないと思っていることが、実は何かを学ぶ機会なのかも知れません。それは神様により頼むことや、また祈ることを教えるためなのかも知れません。あるいは感謝することを学ぶ機会なのかも知れません。確かに欠乏は神様を思い起こす絶好の機会となるのです。
 次に孤独という体験です。モーセはパロ王の娘の息子としての高い地位を失い、同胞であったへブル人からも敵視され、しかも家族との別れは、モーセを耐え難い孤独に追いやったことでしょう。
 当時の華やかな大都会から離れたミデヤンの砂漠地帯はさらにモーセを孤独にしたに違いないのです。モーセは孤独+孤立のような状態であったのです。
 そのような中でチッポラとの結婚によって与えられた家庭は、どれだけモーセを励まし慰めたことでしょうか。
 友達がいるというのは実にありがたいことです。さらに家族や兄弟姉妹がいるというのは大きな心の支えです。にもかかわらず難しい人間関係で悩み、家庭の問題でつぶれそうになることが多い私たちではないでしょうか。
 人間関係や家庭が大切だからこそ聖書から大切な教えを時間をとって学ぶ価値はあるのです。
 モーセは限られた人間関係の中ではありましたが、大自然の中で貴重な人間関係を学んだことでしょう。そして与えられた家庭から多くのことを学んだことでしょう。
 それらの教訓は、やがてシナイの荒野においての民の間で起こった様々なトラブルの中で生かされたことでしょう。
 神様のための働きにおいて、時に孤独を経験します。自分だけがどうしてこのような試練に会ってまで神様のために奉仕を続けなければならないのかと不信感に襲われることもあるのです。
 神様のためにしていることが必ずしも日の当る場所ではないことがしばしばあるのです。つまり人々からの賞賛を受けない奉仕や働きもあるのです。でもそれは神様のためにより必要なものであることが多いのです。  イエス様もゲッセマネで、十字架刑を前にして孤独と十字架による死の恐れの中で、天のお父様とより間近に祈り交わられたというのは、神様を信じる私たちにとっても、どのようなときでも神様は私たちを捨てることなく、離れることなく守ってくださるという確証となるのです。
 華やかな中よりも、仲間がたくさんいる中で楽しんでいる中よりも、順風満帆で快適な人生を送っている中よりも、むしろ孤独が伴う厳しい状況の中にでこそ、より神様に近づき、より神様について学ぶ機会となることが多いのです。
 そうです神様の愛は、この世において幸せと感じている時よりむしろ、苦しみ、悩み、つらい状況におかれている時の方が、神の愛を体験することが多いのはないでしょうか。
 最後は神様との交わりという経験について学びましょう。
 モーセにとって、エジプトの宮廷では決して受けることのできない大切な訓練がありました。それは、神との深い交わりの時間をとることでした。宮廷生活では、管理された生活を強いられていたに違いありません。
 ですから、モーセにとっては神様との交わり、あるいは神様を深く知るには妨げが多い環境であったと思われます。
 『しかし、イエスご自身はよく荒野に退いて・・・・・・祈っておられた。』ルカ5章16節
 主イエス様もまた、世の雑踏において神様と深く交わることの難しさを感じておられてのではないでしょうか。それゆえに、荒野や山に退いて祈られたようであります。
 キリスト者の迫害者であったパウロは、死からよみがえられたイエス様との出会いの後すぐにはエルサレムには上らずに、アラビアに行きました。それは、ダマスコという地でイエス様と出会ったことの意義を深く考える場所ではなかったのかという解釈もあるのです。
 つまり、パウロは伝道活動に入り前に、神様と深く交わるなかで、生涯神様に仕えていく決意を新たにする時ではなかったのでしょうか。
 イエスの弟子であったヨハネも、パトモス島に島流しという試練の中で、神の啓示よる壮大な黙示録が綴られたのです。だれの邪魔もない、極めて静かな環境の中でヨハネは神からの啓示を存分に受けることができたのです。
 もちろん、にぎやかな場所であっても、神と交わることは可能ですが、できれば静かなところで神様と深く交わる時が確保できるなら、その人にとっては霊的な祝福を受ける幸いな時となるはずです。
 モーセは40年間という長い期間において、神様と十分交わる環境が備えられたことは、荒野で40年間も生きるためには必須科目(レッスン)であったのです。
 神様は、神様との交わりを大切にする人を用いられないはずがありません。確かにその人の能力が神様の働きのためにも用いられます。
 しかし神様との交わりをしっかりと持つ人は、その人の能力以上にその人を神様の御用のために用いて下さるのです。
 荒野はモーセにとって、欠乏、孤独の場でありましたが、それは神様のご訓練を受けるに、また信仰の成長のために不可欠な場所でした。やがてイスラエルのリーダーになるための最高の場所でした。
 今私たちが置かれている状況は厳しいものでしょうか。あるいは、つらいところでしょうか。あるいは逃げ出したいような環境でしょうか。思うように行かない不都合なところでしょうか。でも神様は意味もなく神の子どもたちを苦しめるようなことはされません。
 きっと何か神様のお考えがあるはずです。そのことをモーセの生涯から学び取ることができるなら幸いではないでしょうか。