『世の誘惑から身を守る秘訣』 ルカ4章1―13節(メッセージ要約)2016年7月17日(日) 港キリスト教会

『世の誘惑から身を守る秘訣』 ルカ4章1―13節
悪魔とは、中傷者(他人の悪口を言う者、他人を非難する)、悪意を持って訴える者、語源的には間を往来する者であります。
 では、悪魔はいかにしてイエスを誘惑したのか。
1.空腹から来る肉欲の弱さに(3節)。主は40日間の断食で体験された。想像を絶する飢えのなかで、石をパンに変えなさいという悪魔の誘惑に対して、主はみことばを用いられた(4節)。
2.名誉欲から来る弱さに(5節−6節)。悪魔は、父なる神様に対するイエスの信頼関係を壊そうと誘惑を仕掛け、主を悪魔に仕えさせて、父なる神様への不従順を訴えようとした(7節)。この時も主はみことばを用いられた(8節)。
3.所有欲の弱さに(9節)。悪魔はこの世の栄華をちらつかせて、悪魔自身、あるいは悪魔のことばに屈するように仕向けた。しかし、この誘惑に対しても主はみことばを用いられた(10節)。  ここで注目すべきは、悪魔もみことばを用いていることです(10−11節)。つまり悪魔もみことばの権威を認め、それを巧みに利用しているのです。
 この荒野におけるイエスに対する試みから導かれる3つの大切なこと。
① 悪魔(サタン)は、私たちを神に訴えようといつもすき(弱み)を伺っている。
『身を慎み、目を覚ましていなさい。あなたがたの敵である悪魔が、ほえたけるししのように、食い尽くすべきものを捜し求めがら、歩き回っています。堅く信仰に立って、この悪魔に立ち向かいなさい。』(第一ペテロ5章8、9節) 
 私たちは、サタンが神様に訴えようと隙をうかがう材料となる罪から解放されているでしょうか。本当に罪がゆるされているのかと疑う心。あるいは、罪に責められて心が重いということはないでしょうか。悪魔の声に惑わされないように。大切なことはみことばがどう言っているかです。
 『神に選ばれた人々を訴えるのはだれですか。神が義と認めてくださるのです。罪に定めようとするのはだれですか。死んでくださった方、いや、よみがえられた方であるキリスト・イエスが、神の右の座に着き、私たちのためにとりなしていてくださるのです。』(ローマ書8章33、34節)
② 悪魔は、イエスに信頼する者と神のみことばに信頼する者を誘惑して来る。
 悪魔はペテロに近づき、彼を試みた。もろくも彼は主を否んだ。しかし、死からよみがえられた主にお会いし、彼の信仰は回復したのです。主の復活にこそ私たちの救いの保証がある(ローマ書10章9節)。また悪魔が、アダムとエバを誘惑したときに用いた最も効果的な手段とは、神様のことばに疑いを持たせることでした。
 『蛇は女に言った。「あなたがたは、園のどんな木からも食べてはならない。と神は、ほんとうに言われたのですか。」』)(創世記3章1節)
 疑いは、みことばへの信頼を弱めます。私たちもみことばの確かさを固く信じましょう。
『主によって語られたことは必ず実現すると信じきった人は、何と幸いなことでしょう。』(ルカ章45節)神のみことばは必ず成就します。そして、滅びることはないのです。『この天地は滅び去ります。しかしわたしのことばは決して滅びることがありません。』(マタイ24章35節)
③ 悪魔は、みことばに従う者から離れて行く(あるいは、近づいて来る)のです(11節)。  
 主イエスは悪魔の試みに対して、すべてみことばを用いられたことこそ、私たちの信仰の歩みにおける良き模範です。私たちも日々みことばを読み、みことばに聞き、みことばに導かれて歩みましょう。その歩みこそ、悪魔の試みや世の誘惑から身を守る最善の方法です。そして、みことばに生きることは神様への信頼と従順のあかしとなるのです。
 『神に従いなさい。そして、悪魔に立ち向かいなさい。そうすれば、悪魔はあなたがたから逃げ去ります。』 (ヤコブ4章7節)