「いつでも祈るべきであって、失望してはならない」ルカ18章1-8節  2018.2.28   港キリスト教会

  「いつでも祈るべきで、失望してはならない」  ルカ18章1−8節 

 今回は祈りと行動について学びます。祈りによって神の祝福を手にするには、祈り(名詞)の知識が祈る(動詞)という行動にならなければならない。では祈りにおける行動とは具体的にはどのようなことか。

 まず第1に継続して祈るということである。
祈りとは何かを知識(頭)で知っている段階にて誰しも経験するのは「祈っているのになぜ聞かれないのか。」という思いである。
 もし、祈りを感情的な領域で捉えているなら、失望というマイナス感情に陥りやすい。神に祈っているのに失望してしまう。イエスは「いつでも祈るべきで、失望してはならない」と勧められた。
 それは、失望は祈ることを妨げるが、祈りには失望がないことを教えられたのではないか。たとえ話に登場するやもめは、不正な裁判官に裁判をして欲しいと願い続けた。失望からの克服法とは、祈り続けることである。
 
 第2は、祈りは信じることである。
彼女は不正な裁判官を信じてはいなかったが、頼み続けるなら裁判官は心を開いてくれるということを固く信じていたのである。祈りを聞かれる秘訣には、信じる(信頼)という前提条件がある。

 第3は、祈りをあきらめてはいけない。
失望や不安は、祈りをあきらめさせ、ストップさせる。しかし祈りによる祝福を勝ち取るには、あきらめないという行動が不可欠である。やもめは、不正な裁判官であるにも関わらず、あきらめないで頼み続けたのは、彼が裁判官だからである。不正な裁判官ということであきらめるなら裁判は永久に開かれなかった。

 今日の社会情勢は、神への信仰に対して、失望、落胆、あきらめ、不安、困難といった否定的な感情を抱かせるものが多くある。しかし、継続して、神を信じきって、あきらめない祈りは必ず神様の心を動かすはずである。

「祈っているのに?」はサタンのささやき、「祈っています!」は神様が聞かれ、神様が働いてくださることを信じましょう!