「満ち足りる心で献げよう」 ルカ21章1−4節 2018年5月27日(日)港キリスト教会 

    「満ち足りる心で献げよう」 ルカ21章1−4節
 ある時、宮の献金箱に金持ちたちが投げ入れた献金と、ある貧しいやもめが、レプタ銅貨2枚を投入れるのを見て、イエスは、「この貧しいやもめは、誰よりも多くを投げ入れました。」と言われた。この所から、献金の大切な心得とは何かを見ましょう。
第1に、主はどのような思いで献げているのかをご覧になられた。
金持ちたちは、あり余る中から献金として投げ入れた(レプタ銅貨の128倍以上価値ある銀貨?)。主は彼らが献げたものは献金であると認めておられた。しかし、主はどのような思いで献げるかを注視された。イエスが、やもめの献金を褒められたことから、金持ちたちの献金の姿勢において問題を感じ取られたのではないだろうか。

 第2に、主は信仰の伴ったささげ物であるかをご覧になられた。
やもめは、生きる手立ての全てを投げ入れた。それは、彼女が持っていたすべてを献げたことを意味する。やもめが献げたレプタ銅貨2枚は、これから生きていくための全ての必要を神の御手にゆだね、神に信頼して行くという信仰が伴う献金ではなかっただろうか。まさに献金は、どれだけ神様に信頼しているかのバロメーターでもある。
 
 イエスが見られたのは、人々の献金額ではなく、一人一人がどんな思いで、またどのような神への信仰を持って献げたのかをご覧になられた。
 パウロは「あなたがたは、すべてのことに、すなわち、信仰にも、ことばにも、知識にも、あらゆる熱心にも、私たちから出てあなたがたの間にある愛にも富んでいるように、この恵みのわざ(献金)にも富むようになってください。」(第2コリント8:7)
 聖書は、献金は強制ではなく、また掟ではなく、恵みのわざであると教えている。ですから、私たちクリスチャンは、強いられてではなく、いやいやながらではなく、自ら進んで、喜んで、心から献げ、恵みのわざに富む者となりましょう!