「教会の誕生」―神の霊を受けた人々によって― 使徒2章1〜13節 5月20日(日)ペンテコステ礼拝 港キリスト教会

「教会の誕生」―神の霊を受けた人々によって― 使徒2章1〜13節 

 ユダヤ暦の小麦の収穫祭は、イエスの復活から50日目(ペンテコステ)にあたる。その日120名ほどの弟子たちが熱心に祈っていた時に、天から聖霊が降り、弟子たち全員が聖霊を受け、彼らは突然他国の言葉で話し出した。

 聖霊は目で見ることはできない。しかし、その聖霊の働きによってもたらされるものによって、その存在を知ることができる。例えば、電気は目には見えないが、裸電線に触れた時に電気を感じその存在を知る。聖霊を受けたペテロの説教を聞いて、人々は心を刺され、悔い改めた結果、彼らの鈍い心が開いた。これらは、ペテロの説教とともに聖霊の働きによってもたらされた。
 しかし、この聖霊体験の50日前に、ペテロは大祭司の中庭で、イエスという人は知りませんと力を込めて3度も否んだ。肉の思い(肉の心)は、時として、自分では思ってもいないことを言い、また思いもよらない行動をとる。あるいは、自分では悪いと分かりつつ、やめられない。してはいけないと分かりつつ、やってしまう。パウロは、これらを原罪(悪の法則)であると解いている(ローマ書7章)。
 肉の思いは、修行や努力、あるいは道徳的な教えを身に着けることによっては制御できない。しかし、聖霊に満たされた彼らは、やりたいことが出来るようになったのではなく(肉の思い)、なすべきことが出来るようになり(神のみ旨)、なせるはずがないことが出来るようになった(神のみわざ)。この時が教会の誕生、そして世界宣教のスタートの日となった。このように弟子たちは、神の尊い働きに用いられるためには聖霊降臨(ペンテコステ)が必須であった。同様に、私たちも聖霊に満たされることが大切であることを今一度確認したい。

 聖霊に満たされるために、まず聖霊に満たされるように神に祈り求め、聖霊様が喜ばれないことを一掃し、聖霊様が喜ばれることを熱心に求め、自己に生きるのではなく、聖霊様に明け渡して、自己を主に委ねなければならない。120名ほどの弟子たちは、10日間の祈りとみことばの備えている時に聖霊が降り、その日のうちに、救われる人が一気に3,000名と拡大した。
 
 私たちも、生き生きと信仰生涯を送り、喜んで主の教会に仕え、救霊の働きをするために。またこの世の誘惑や罪の力(肉の思い)から、またサタンや悪霊の力から守られ、それらに打ち勝つために、聖霊の力は必須である。
「どうか、望みの神が、あなたがたを信仰によるすべての喜びと平和を持って満たし、 
 聖霊の力によって望みにあふれさせてくださいますように。」ローマ15章13節