「最後の晩餐の意義(Ⅰ)」―わたしの時が近づいた―ルカ22章7−15節 2018.6.24 港キリスト教会 

 「最後の晩餐の意義(Ⅰ)」―わたしの時が近づいた―ルカ22章7−15節
 
 イエスと弟子たちが共にした最後の晩餐と言われる過ぎ越しの食事は特別なものであった。第1に、晩餐は前もって備えられていた。イエスはペテロとヨハネに食事の用意を依頼された。ところが彼らは心配そうに、「私たちは、どこで用意しましょうか」とイエスに尋ねた。
 当時、この祭りにはたくさんの人々がエルサレム(270万人)に集まるので、場所の確保は難しかった。ところが、イエスは前もって場所を予約しておられた。しかも、ペテロとヨハネがイエスの言いつけられた通りにした結果、人知をはるかに越える不思議を体験した。
 イエスは神の御子で、その計り知れない能力により将来の全てを予知される。ですから、私たちは全てをご存知で、どんな時でも助けてくださる神を信頼して行きましょう。
「あなたの道を主にゆだねよ。主に信頼せよ。主が成し遂げてくださる。」(詩篇37篇5節)
 
 第2に、晩餐は主が心待ちにしておられた。恐ろしい十字架刑を前にして、弟子たちと食事をするこの時を、イエスが心から待ちわびておられた理由とは何か。
 それは、イエスの罪の身代わりによる十字架の死と復活よって、私たちの罪による永遠のさばきから解放され、天国の道が備えられる時が、まもなく来るからである。
 今も生きておられ、とこしえにおられる神におゆだねし、将来を見通されるだけでなく永遠までを導いて下さる神を信じて生きることは、実に幸いなことである。
「人の道は主の目の前にあり、主はその道筋のすべてに心を配っておられる。」(箴言5章21節)