「後悔から悔い改めへ」 ―イスカリオテ・ユダを追いつめたもの−ルカ22章1−6節 要約 2018.6/17 港

「後悔から悔い改めへ」 ―イスカリオテ・ユダを追いつめたもの−ルカ22章1−6節

 ユダがイエスを裏切るまでに追いつめたものとは。第1は、不純な動機。会計係であったユダは、お金を盗むだけでなく、イエスについて行けば何か得があるという野心を抱いていた。
 ところが、イエスの状況が悪くなり、自分にとって徳がないと計算した彼の心にサタンが入った。イエスの弟子になる動機の不純さは、結果的にイエスを裏切るまでに彼を追い詰めた。私たちも、どのような思いで主に従い、教会で奉仕をしているのかを自己吟味することは大切である。
 主は、「あなたがたは,神にも仕え、また富にも仕えるということはできません。」(マタイ6章24節)と教えられた。
 
 次に彼を追いつめたものとは。第2は、放置したままのパン種(悪の根:罪)。ユダはイエスを裏切り、祭司長たちからお金(銀貨30枚)を受け取った。しかし、イエスが捕らえられた時に「事の重大さ」に気づき後悔した。
 その直後にユダは自ら命を絶った。実はこのような事態になるまでに、イエスに赦される機会は何度もあった。イエスは、最初から彼の野心と盗みを知っておられ、彼が悔い改めるのを待っておられたはず。
 しかし、ユダはイエスの愛を知りつつ罪の力に身を委ね、サタンに心を奪われた。そのまま放置していたパン種(悪の根)を悪事のエサにされたのである。
「主はすべてのものを、ご自分の目的のために造り、悪者さえもわざわいの日のために造られた。」(箴言16章4節)。またパウロは、「あなたがたの高慢は、よくないことです。あなた方は、ほんのわずかなパン種が、粉のかたまり全体をふくらませることを知らないのですか。」(第一コリント5章6節)と悪いパン種に注意するようにと警告している。
 どの弟子たちも、初めのうちは野心を抱いてイエスに従っていた。そして、彼らもイエスを見捨てた。しかし、死からよみがえられたイエスに出会って、悔い改めへと導かれ、これまで弟子たちが抱いていた不純な動機は、福音宣教という尊い使命のために生涯を献げる弟子へと変えられた。
 これくらいはと放置された小さなパン種(悪の根:罪)が、やがて大きく膨らみ、ユダ自らをイエスの裏切りへと追い詰めた。神の救いの計画の実現のためのシナリオ(台本)をユダは知らないうちに描いていた。
 ユダにとって最悪のシナリオが、神には最善のシナリオとなる。なぜ、ユダが悲劇のヒーローになったのかという理由を知っておられるのは神のみである。
 
 私たちの心の中のすべてをご存じの神を恐れて生きて行くことが、人生の安全保障である。もし、心の中にわずかでもパン種(悪の根:罪)があるなら、そのまま放置せず、できる限り早いうちに取り除こう。
 そのためにどうすれば良いのか。それは、罪を取り除くために十字架で血潮を流された神の御子イエスに祈り、後悔するのではなく、悔い改めるなら、神に赦され、神に祝福され、神に見守られ、神と共に歩む新しい人生が始まると聖書は約束している。