「聖書を基とする信仰(1)」―日々のデボーションを大切にールカ24章13〜35節 2018年7月15日(日)

 
 エルサレムからエマオに向かう2人の弟子たちは、愛する主が死なれ、大きな悲しみの最中にあった。しかし、道中にて復活されたイエスが現われた時に、彼らはイエスとは全く気づかなかった。ところが、道々主によって聖書全体からご自身について教えられ、彼らの心は燃やされた。  
 その日の宿を取った食卓にて、主がパンを取って神に祈られた時に、2人の目は開かれイエスだと分かった。これらの出来事から、確かな信仰を持つための秘訣とは何かをみましょう。
 
 確かな信仰の第一の基とはデボーション(静まる時)にある。2人が、復活の主にお会いする前は、落胆し、希望を失い、その信仰は全く弱っていたであろう。しかし、復活の主からみことばを聞き、心を動かされ、さらに食卓での主との交わりによって霊の目が開かれ、2人は復活の主を認識できた。
 
 私たちも日々みことばに耳を傾けて、みことばに教えられ、みことばに導かれるなら、私たちの心は満たされ(燃やされ・動かされ)、生ける神と交わることにより、世の誘惑や悪の力から守られる。ここにデボーションの大切さがある。

 「朝ごとに、立って主をほめたたえ、賛美し、夕べにも同様にすること。」(歴代誌第一2章30節)

 次に、確かな信仰の第二の基とは、デボーションの継続にある。弟子たちのエマオでの体験は、後々の信仰の歩みにおいて大切な教訓となり、よみがえりの主は、いつでも、どこでも、共にいてくださるという貴重な体験をしたのである。

 「見よ。わたしは、世の終わりまで、いつもあなた方ともにいます。」(マタイ28章20節)

 私たちが確かな信仰を持ち続けるためには、日々のデボーション(理想は朝早く)の確保と継続にある。どうしても時間が取れない場合もある。それでも、1日のどこかに空いた時を逃がさず、主との交わりを持つことが、デボーションを継続させる良い方法である。

「信仰は聞くことから始まります。聞くことは、キリストについてのことばを通して実現するのです。」
                                    (ローマ書10章17節)