「聖書を基とする信仰(Ⅱ)」-みことばに聞く-ルカ24章44節〜53節 2018年7月22日(日)

     
 地上で最後となるメッセージを通して、主が弟子たちに願われたものが2つある。まず第1に、聖書全体を学ぶようにとのメッセージである(44節)。
 主が言われた、「モーセの律法と預言者たちの書と詩篇」とは聖書全体のことを指す。つまり聖書全体から神について、キリストについて、人間等々について学ぶことの勧めである。比較的分かりやすい新約聖書だけでなく、難解と思われる旧約聖書を学ぶことによって聖書の理解をより深めてくれる。
 バランス良く聖書を学ぶために、日々のデボーション(みことばを読み、神に祈る時)で用いるテキストが良い助けとなる。また聖書教理を学ぶならさらに聖書の理解は深められる。
 
 さて、次に主が願われたのは、ご自身の十字架の死と復活を信じる者に与えられる罪の赦しと救いの福音を全世界に宣べ伝えるようにとの願いである。第2は、聖書を悟る(理解する)ことにより、神のみこころを知るというメッセージである(45節)。
 これは、聖書を悟ることなくして神のみこころを知ることは難しいということである。
 では、この聖書を「悟る」とはどういう意味なのか。「悟る」とは「理解する」という意味であり、聖書を理解するあるいは分かるためには心が開かれる必要がある。
 43節で、「イエスは、聖書を悟らすために彼らの心を開いて」と書かれている。つまり、聖書を理解するためには心を開かなければならない。
 聖書を読むだけにとどまらずに、祈り心を持って聖書を読み、黙想し、熟慮し、熱心に学ぶという心がけが求められる。実は信仰の土台(もとい)において、聖書を読むだけでは不十分であり、まして聖書を開かないなら、神に祝福される信仰生活を維持するのは極めて困難である。
 しかし強制的ではなく、律法的ではなく、神の恵みによって互いに励まし合ってみことばの中に満ち溢れている恵みをともに分かち合って行きたい。
 
「みことばを教えてもらう人は、教えてくれる人と、すべての良いものを分かち合いなさい。」(ガラテヤ書6章6節)