「神をほめたたえよう(Ⅰ)」—神に選ばれた者— エペソ1章1−6節 要約 2018年8月5日(日)

   「神をほめたたえよう(Ⅰ)」—神に選ばれた者— エペソ1章1−6節
 
 この手紙が書かれた目的は、エペソ教会の異邦人クリスチャンたちが、異端の教えに惑わされずに真理に立ち返るためである。
 さて、パウロの宣教がおよそ30年を経過する中で、伝道の働きのゆえに迫害を受け、しばしば命の危険にさらされるという多くの苦難を経験していた。
 その彼が、1章で繰り返している言葉が「神がほめたたえられますように」、あるいは「神をほめたたえるために」である。
 ではパウロがどのような状況の中にあっても、神を心からほめたたえることができたのはなぜか。それはパウロの神の救いについての認識の深さにあるのではないか。

 第1に、神の一方的な恩恵による救いという認識 青年で優秀な律法学者であったパウロは、クリスチャンを迫害する側にいた。しかしある時に、ダマスコ途上で復活の主に出会いクリスチャンとなる。このような経験は、彼の努力や願いや功績ではなく、神からの一方的な恵みによる。
 それゆえに、パウロの救いの神学は実に確かなものである。それは、天地万物の創造以前からすでに選ばれていたというものであり、しかも、人がその過去における罪を一切問われず、ただキリストを信じることにより、全ての罪は赦され、神の子どもとされ、聖なる者としてくださるというものである。
 神は人類が罪を犯かすはるか以前に、救いの計画を持っておられただけでなく、救おうとする人をも前もって選ばれていたと捉えていたのがパウロである。

 第2に、神の愛からくる必然的な行為による救いという認識 「神のみむねとみこころのままに、私たちをイエス・キリストによってご自分の子にしようと、愛をもってあらかじめ定めておられました。」 私たちの救いをご自身のみこころとされ、罪の贖いのために御子イエスのいのちさえも惜しまずに与えられた神こそ、心からほめたたえるにふさわしいお方である。神がなぜ私のような者を選び、救ってくださったのかを知るすべはない。
 たとえその理由は分からないとしても、世に比類なき神の救いにあずかっている事実に、感謝と喜びをいつまでも持ち続けるのみならず、パウロのように、いかなる時であっても心から神の栄光をほめたたえる者となりたいものである。