「教会とは」 エペソ1章20−23節 2018年9月16日(日) 港

「教会とは」 エペソ1章20−23節  
    
 パウロは、「教会はキリストのからだである」と教えていることから、教会をキリストと関連付けて教会とは何かを考えてみよう。
 20節「キリストを死者の中からよみがえらせ」たのは、全能の父なる神の力により実現した。そして、そこにはキリストの父なる神への全き信頼があった。教会がキリストのからだということにおいて、

 まず第1に、教会は神に全き信頼する集合体である。つまり、イエスを信じて教会に集う一人ひとりが、どれだけ神に信頼して主に仕え、奉仕しているのかということであり、教会は、人間同士が信頼し合う集合体であるよりも、いかに神に信頼しているかの集合体である。

 次に、20節「天上でご自分の右の座に着かせ」られた。つまりキリストは教会のためにとりなしてくださっていることから、第2に、教会は神に祈られ、神に祈る集合体である。教会が祈りを途絶えるなら霊的いのちを失う。毎週の礼拝の祝福のための祈りが必要であり、お互いのためのとりなしの祈りが不可欠である。そして、祈りにより宣教が前進し、諸問題も熱心な祈りと願いにより解決される。神はすべてのことを働かせて益としてくださる(ローマ書8章28節)。何よりも、キリストは教会のためにとりなしをされているゆえに、教会は決して揺らぐことはないと信じましょう。次は22節父なる神は、「すべてのものをキリストの足の下に従わせ」、キリストを教会のかしらとされた。

 第3は、教会はキリストに従う群れの集合体である。ここでキリストに従うとは、神のみことばの教えに従うことである。主に喜ばれる教会とは、みことばを愛する集合体であり、日々みことばに生かされ、みことばに従う集合体である。

 ①教会とは、神に信頼して主に仕える集合体。

 ②教会とは、祈りの火を絶やさない集合体。

 ③教会とは、神のみことばに従う集合体。