「眠っている人たちの希望」テサロニケ第一4章13−18節 召天者記念礼拝   2018年10月21日(日) 召天者記念礼拝 

  「眠っている人たちの希望」テサロニケ第一4章13−18節 召天者記念礼拝
   
 4章13節で死者を「眠った人たち」と書いている。実に不思議な言い回しである。普通死んだ人を眠った人たちとは言わない。聖書が言う「眠っている」とは、いつか必ず目を覚まして起きるという意味である。そのことを具体的に説明しているのが、第一テサロニケ4章13−18節である。

 まず、はじめに13節でパウロは死んだけれども、眠っているのですという言葉で、身近な人を亡くしたクリスチャンたちを励まそうとした。とはいえ身近な人の死は悲しいものである。場合によっては、悲しみからいつまでも抜け出られないという事もある。死とは何か誰からも聞くこともなく、知るすべもなく身近な人の死に直面される人が多いのではないだろうか。
 続いてパウロは、眠っている人たち、つまり死んだ人々について、望みのない人たちのように悲しんではいけない理由を14節以下で説明している。

 14、15節でパウロは、イエスの復活の事実に目を向けさせ、イエスの復活を信じている者の希望について語る。つまり、キリストを信じて死んだ人は、やがてよみがえりキリストと共にこの世界に現れると証言している。しかも15節で、キリストの再臨の時に、まずキリストを信じて眠っている人たちがよみがえってキリストに出会う。もし、キリストの再臨の時に生きているなら、そのあとによみがえる。

 続いて16、17節で、それらの出来事をさらに時系列に説明している。まず、パウロはキリストを信じて死んだ人は、どのような希望があるのかを語る。それは、この世の終わりにおいてキリストが空中まで降りて来られ(空中再臨)、まずキリストを信じて眠った者たちがよみがえり、それから地上に生き残っている者たちも一瞬に空中まで携挙されて空中で主とお会いする。つまり、キリストの再臨までに死んだ信者たちは先によみがえり、次にキリストの再臨の時に生きている信者たちは、よみがえりのからだに変えられて、空中で先によみがえった人々と共に主にお会いする。

 アモス書に「イスラエルよ、あなたの神に会う備えをせよ」というみことばがある。聖書の預言によると、今日はいつ主が来られてもよい時代であるゆえに、召された人たちにお会いする時が近づいているのではないだろうか。何よりも召された人たちは、私たちと会える時を心待ちにしておられるはずである。ですから、私たちは復活信仰と再臨信仰による希望を持ち、共に励まし合って、各自に託された信仰生涯を全うして行きましょう。