「国家存亡の危機を救った王の祈り」 第2歴代誌20章1―13節の要約 16.6/19

「国家存亡の危機を救った王の祈り」 第2歴代誌20章1―13節の要約 16.6/19 港 
 ダビデより6代目の王ヨシャパテによる南ユダは繁栄し、強大な軍事力を誇っていた。ところが、彼は北イスラエルの悪王アハブと政略結婚による縁結びをした結果、異教の国との戦いに巻き込まれ、危機的な状況に陥った。その時、ヨシャパテ王は民と共に神に祈った。
 第1.ヨシャパテ王は国の力に頼らずに祈りの力により頼んだ。
不信仰なアハブ王との縁結びは、人間的な思いつきであり、決して神のみこころではなかったことに気づいたヨシャパテ王は、目に見えるこの世の力に頼らずに祈りを優先した。厳しい状況に立てば立つほど神に立ち返り、神により頼むことが大切です。祈りは恐れを克服し、神様を味方にして、勝利と祝福をもたらす。
 第2.ヨシャパテ王の祈りは神の御手を動かした。
神の御手を動かしたヨシャパテ王の祈りとは?
① 神は偉大なお方であり、真実なお方であること祈りの中で訴えた(5−9節)。
 ヨシャパテ王の祈りとは、みことばからイスラエルの歴史の中で働かれる神の偉大さと真実について告白する祈りであった。みことばに裏打ちされた祈りは神の御手を動かした。
② 自分の祈りの正当性を訴えた(10−11節)。
 ヨシャパテ王は、戦争を仕掛けて来たモアブ人、アモン人の不当性を訴え、自らの祈りの正当性を神に告白した。つまり神の前にささげられる祈りは、いつもその動機が問われます。
『願っても受けられないのは、自分の快楽のために使おうとして、悪い動機で願うからです。』(ヤコブ4章3節)
 神の前に正当(その動機が正しい)な祈りは必ず聞かれるというみことばの約束をしっかり握って、粘り強く祈りましょう。
③ 救いの必要性を訴えた(12、13節)。
 ヨシャパテ王は、ユダの人々とエルサレムの人々の前で面子を捨て、自分は無力であると告白した。民もまた同様であった。
その結果、神様は王の祈りと民の祈りは聞かれ、国家存亡の危機から救われた。自分の力に頼らない自己放棄は、神様の御手を動かすのです。
 私たちが祈ることにおいて一番の妨げとは、実は自分自身なのです。みことばの約束を信じきれない自分。祈りは聞かれるのかと疑う自分。不可能と諦めてしまう自分はないでしょうか。
 人間的な思いを脇に置いて、神様にすべてをお任せする心で祈るとき、神様からの祈りの答えを頂く。神様は、私たちクリスチャンがみことばの約束に全き信頼してささげる祈りを待っておられるのです。