「一番小さい者が一番偉いのです。」 —仕える者になりなさいー  ルカ9章46−48節 2017年7月16日(日)港

 「一番小さい者が一番偉いのです。」 —仕える者になりなさいー  ルカ9章46−48節  
 私たち人間は、大なり小なり人の評価を気にしながら、あるいは意識しながら生きているのではないだろうか。弟子たちも、イエス様は自分のことをどう思っておられるのかと意識していたことでしょう。ところが主は、ペテロやヤコブヨハネを特別扱いするような行動をしばしば取られたために、弟子たちの間で猜疑心(ねたみ)や、懐疑心(なぜだろうと疑問を抱く、信頼できない)を抱くようになって来た。しかも、主が近い将来に建てられるユダヤ王国において、自分たち(弟子たち)の地位や身分はどうなるのかという妄想によって、弟子たちの中で、だれが一番偉いのかという論争が持ち上がった。そのような中で、主は、弟子たちが喜んでイエス様に従い、また仕え、共に労苦して来たように、みなに仕える者になりなさいと教えられた。
彼らが、真の弟子となるために第1に学ぶべきことは、みなに仕えることでした。「だれでも人の先に立ちたいと思うなら、みなのしんがりとなり、みなに仕える者となりなさい。」(マルコ9章35節) 
この主の教えは、私たちにとっても大切である。自分に与えられた教会の奉仕を忠実に果たすことは、もちろん主に仕え、また主に従っているという良い模範である。それと同じように、兄姉にも仕えることをおろそかにしないようにとの勧めである。ところが、私たちは教会の中で、みなに仕える者ではなく、いつの間にか、みなに仕えられる者となってはいないのか気をつけたい。
 「あなたがたのうちの一番偉大な者は、あなたがたに仕える人でなければなりません。」(マタイ23章11節) このみことばを心に留めて、教会の奉仕をさせて行きましょう。
さて、しばらくしてから主は、子どもを弟子たちの真ん中に立たせて「あなたがたも悔い改めて子どものようにならない限り、決して天の御国には、はいれません。だから、この子どものように(信頼の心を持ち、謙遜で、愛の心を持ち、赦す心を持つ者)自分を低くする者が、天の御国で一番偉い人です。」と弟子たちに教えられた。
第2に真の弟子となるために、子どもを教えるだけでなく、子どもからも学ぶように勧められた。まさに、「負うた子に教えられて浅瀬を渡る(背中におんぶされた子供は、負っている者の上から浅瀬と深いところをよく見分けることができ、その子供に教えられて深みにはまらずに済むことから)」という諺通りであります。つまり、真の弟子となるために学ぶべきことは謙遜さを身につけることでした。
主に仕えるようにみなに仕え、子どものような素直な心を持って、謙遜さを身につけた弟子こそが誰よりも偉いのですと主が公言された。ですからクリスチャンは、この世の評価ではなく、神様の御思いに心を留めましょう。 「最も謙遜な者が、最も偉大な者となるのです。」(ルカ9章49節 リビングバイブル訳)