2017/8/27 第4礼拝 港

『主の祈り(Ⅱ)』―私たちの3つの必要のための祈り― マタイ6章11−13節 17/8/27 港
主イエスは「主の祈り」の後半で、私たちの3つの必要①生活(肉体)②精神(魂)③霊の必要のために祈りなさいと教えられた。
まず第1は、生活の必要のための祈りです(11節)。
私たちの国において、明日何を食べようかと心配する必要がないというのは恵みである。それゆえに、神様を信じている私たちクリスチャンさえも、糧を得るための祈りの必要性をあまり感じない。たとえ、豊かで恵まれた環境であったとしても、主が日ごとの糧の必要のために祈りなさいと教えられたのはなぜか。それは、私たちは神様によって生かされて(依存)おり、また神様に信頼して生きる者であることを忘れないためである。ロイド・ジョーンズは『私たちは、神の法則について、いくらかの知識を得たからと言って、それで神から独立していると考えてはいけない。』と言っている。
第2は、精神(魂)の必要についての祈りです(12節)。
それは、罪が赦されることと罪を赦すことである。罪は私たちの精神に大きな影響をもたらす。『私の罪のため、私の骨には健全なところがありません。』(詩篇38篇3節) 『私の罪で不安になっています。』(詩篇38篇18節)とダビデは告白している。罪は私たちの心と体を虫食み、心を掻き乱し、精神を病ませ、やがて魂の永遠の死をもたらす恐ろしいものである。ですから主は、罪が赦されることと罪を赦すことのために祈ることを教えられた。罪は日ごとに赦される必要がある。赦されていない罪は、神様との交わりにおいて大きな妨げとなる。私たちは、神様への賛美と感謝とともに、告白の祈りだけでなく、人の罪をも赦すことを求められている。それは私たちの魂が祝福され、心が平安で、精神が健全であるためにどうしても必要なことである。
第3は霊の必要のための祈りです(13節)。
霊(霊的)のために必要な祈りとは何か。それは、この世における誘惑(試練)や悪から身を守って下さいという祈り願いである。私たちが、神様によって霊的に祝福されることを妨げるのは、サタン、その支配下にあって、それに追従する悪霊たちの働きや、悪のわざである。サタンや悪霊たちは、私たちクリスチャンが神様のことや、霊的な話題を持ち込むことを嫌い、霊的なことから目を離させようとします。ですから、主は試練と誘惑(試練と誘惑の原語は同義語)において祈るようにと勧められた。もし、私たちが試練や誘惑に屈するなら、霊的な領域から離れてしまう。ですから、私たちが霊的な領域に留まり続けるためにも祈りが必要である。『誘惑に陥らないように、目を覚まして、祈っていなさい。心は燃えても、肉体は弱いのです。』 (マタイ26章41節)
最後に『国と力と栄えとは、とこしえにあなたのものだからです。アーメン。』という結びの祈りにおいて神様への礼拝で終えるのは、主イエスの教えにかなっている。それは、私たちの祈りに答えて下さる神様は、栄光に満ち満ちたお方であり、ほめたたえられ賛美されるにふさわしいお方だからです。