「暗闇の圧制から神のご支配へ」 —霊の戦いの中にあるクリスチャン− ルカ11章14-28節 2017.9/3 (日)港教会

「暗闇の圧制から神のご支配へ」 —霊の戦いの中にあるクリスチャン− ルカ11章14-28節 
  
  神の御子イエスは、目には見えないサタンと悪霊について3つのことを教えられた。
 第1に、サタンや悪霊たちには一致団結力がある(17、18節)。彼らは、神の被造物である私たち人間が、神の存在と霊の世界について偽りの教えを持つように企て、さらに彼らが最後に行くべきゲヘナ(火の池)に道ずれにしょうと企む。

 しかも、彼らは自分たちの終わりが近いことを知ってより一致団結する。確かに、今日の犯罪の増加とその凶悪化は、悪霊どもの影響ではないかと危惧する。もし、クリスチャンの間で一致がなく、非協力的ならサタンや悪霊たちの思うツボとなる。では、それらの敵に対してどう対処すべきか。
 エペソ6章11—18節で7つの神の武具(みことばと祈り)を身に着けるようにと勧めている。私たちが、神様の御力とみことば(聖書)と祈りによって悪霊どもの企みからから守られますように。
 
 第2は、彼らは好戦的で破壊的である(21節、22節)。日本は戦後70年以上も平和を亮受してきたが、戦争は今尚止まない。しかし、聖書は互いに愛し合い、赦し合い、仕え合いなさいと勧めている。戦争はいつの時代であっても悲惨極まりない。幸いな戦争はどこにもない。 
 私たちのメノナイトの群れは、誕生(1536年)して500年以上になり、絶対平和主義と非戦論の立場をとる。まさに、それは、「あなたがたに新しい戒めを与えましょう。あなたがたは互いに愛し合いなさい。わたしがあなたがたを愛したように、あなたがたは互いに愛し合いなさい」(ヨハネ13章34節)との主イエスの教えに基づく。
 しかし、サタンや悪霊たちは、妬み、恨み、憎み、憤り、怒りといった罪による悪い心を巧みに用いて人を陥れ、ゲヘナ(火の池)へと道連れにする。聖書は、「兄弟を憎むものはみな、人殺しです。言うまでもなく、だれでも人を殺す者のうちに、永遠のいのちがとどまっていることはないのです。キリストは、私たちのために、ご自分のいのちをお捨てになりました。それによって私たちに愛がわかった。」(ヨハネ第一3章15節)と教える。まことの平和は、互いに愛し合い、赦し合うとことから生まれる。

 最後は、彼らは常に機会(すき)をうかがう(21-26節)。
 先日、乗客からの通報で、運賃箱から3年間で約260万円を盗んでいた南海バスの運転手5人が懲戒解雇処分となった。そのうちの1人は今月から盗み始め5000円の盗みで解雇された。犯行の動機を追求された1人が「魔が差した」と答えた。
 では「魔が差した」という「魔」とは何か。この言葉には2つのニュアンスがある。1つは悪いことをしたという容認と、もうひとつは、「魔」という自分以外の何かがそうさせたという弁解である。
 確かに目に見えない悪の力や誘惑の働きを感じることがある。しかし、その力に屈すると人生の破滅を招きかねない。私たちは、自制力と精神力に依り頼むのではなく、みことばと祈りの力によって、悪霊たちの悪賢い策略の罠から守られて、栄光と祝福に満ちた神様のご支配の中にとどまり続けましょう。