「狭い門から入りなさい」—救いの門が閉ざされる前にー 要約 ルカ13章22−30節 2017/11/26(日)港

   「狭い門から入りなさい」—救いの門が閉ざされる前にー ルカ13章22−30節 
 ある人がイエスに「救われる者は少ないのですか」と問いかけた。主は、その質問に対して、多いと少ないとも答えられず、「努力(励み・骨折って・全力で)して狭い門から入りなさい。」と言われた。
 救いは(天国への道)、神の選民ユダヤ人だけでなく異邦人であっても、努力して同じ門から入らなければ救われないことを示唆された。この努力は「アゴーニア(ギリシャ語)」で元々は競技するという言葉からきている。救いに至る門は狭いゆえに努力が必要である。しかし、この言葉の強調点は、努力にではなく、狭い門にある。さらに強調されているのは門ではないかと思われる。その門とは、救いに至る門である。

 反対に滅びに至る門は大きいと主は教えられた。大きな門は多くの人々が好んで入る。それは、聖書の教えとは相反する、この世の教えや人間中心の思いや考え方という門である。その先には、永遠に閉じ込められる滅びの世界がある。
 主は言われた。「わたしが(キリストの再臨)来るのは、ちょうど、ノアの日のようだからです。洪水前の日々は、ノアが箱舟に入るその日まで、人々は、飲んだり、食べたり、めとったり、とついだりしていました。そして、洪水が来てすべての物をさらってしまうまで、彼らは分からなかったのです。人の子キリストが来るのも、そのとおりです。」マタイ24章37−39節)

 イエスが指し示された救いの門は、神の国に至ることを知っているだけでなく、やがてこの門が閉じられる日が必ず来ることも知っている。それゆえに、ノアの家族の様に忍耐を持って、福音を知らせていく使命が、教会や私たちクリスチャンに与えられている。

 まもなくクリスマスが来ます。神様を知らない人も、一年のなかでキリスト教に対して心を開きやすい機会でもある。今年は12月24日がクリスマス礼拝。 まことの救いの門を見出す方が起こされるように心から祈るものである。
神様は「ひとりでも滅びることを望まず、全ての人が悔い改めに進むことを望んでおられます」(第二ペテロ3章9節)