「神のものは神に返しなさい」 −信仰のボーダーラインとはー ルカ20章19−26節 2018年5月6日(日)港キリスト教会

    「神のものは神に返しなさい」 −信仰のボーダーラインとはー ルカ20章19−26節 

 主が語られた、「カエサルのものは、カエサルに、神のものは神に返しなさい。」の意味とは何か。
律法学者、祭司長たちは「私たちが、カエサルに税を納めることは、律法にかなっていることでしょうか。」と質問した。
 もし、イエスが税を納めなさいと言えば、反対の立場のパリサイ人や民衆から反発され。税を納める必要はないと言えば、ヘロデ党の者は、イエスを国家反逆者としてローマ政府に訴える。
 どちらもイエスを窮地に追い込む。しかし主は、デナリ銀貨を手にし、表の肖像人物について聞かれ、彼らは「カエサルです。」と答え、イエスは「では、カエサルのものはカエサルに。神のものは神に返しなさい。」(私訳:カエサルにはそれに見合うもの、神には神に見合うものを返すべき)と答えられた。

 このイエスの言葉は、今日のキリスト者にとって大切である。それは、キリスト者が国家とどう関わり、どう関わってはいけないのか、また、社会における責任をどう果たすべきかを教えている。まずカエサルのものは、カエサルにとは?キリスト者は国家の法律に従うことを命じられている。ペテロは、「すべて人の立てた制度に、主のゆえに従いなさい。」(第一ペテロ2:13,14)、またパウロは、「すべての人のために、また王とすべての高い地位にある人達のために願い、祈り、とりなし、感謝がささげられるようにしなさい。それは、私たちが敬虔に、また、威厳をもって、平安で静かな一生を過すためです。そうすることは、神の前に良いことで、喜ばれることなのです。」(第一テモテ2:1,2)と勧める。

 ただし、世のいかなる権威も、神を恐れることと神に従うことを超えることはない。次にあなたにとってカエサルとは?それは、国家、社会、職場、学校、家庭などにおいて、神が定めた秩序を保つために、キリスト者は従順(聖書の教えに)であることが求められる。もし世の権力が信仰の良心を脅かすなら、敵意を抱かず逆らわず、祈りととりなし、最終的に信仰の良心に従う。最後に神のものは神に返しなさいとは?神は神、世は世と切り離す二元論は律法的となる。
 しかし、神からのものを、この世で正しく管理し、良いことのために用いるなら、神から恵みを受ける。そして、神から恵みを受けた者が神のために見合うお返しできる。イエスも喜んでご自分のからだを、父なる神にお返し(罪を赦すに値する)された。主の十字架による死の犠牲は、信仰の模範の頂点である。

 ますます世界はボーダレス化(国境のない)する中、信仰もボーダレス(境目なし)で。それは、カエサルのものと神のものとを使い分ける要領のいい信仰者になりかねない。聖書は、寛容であるようにと勧めているが、信仰が寛容になると、曖昧から妥協、妥協から堕落に陥りかねない。たとえ生真面目で、要領が悪く、損をする生き方と思われても、世のものは世に、神のものは神にお返しするボーダーライン信仰、つまり何が信仰的で、そうでないのかという境目を、神のみことばから正しく身に着ける者となれますように!