『老いと信仰』2014年9月14日(日)敬老の日礼拝

 『老いと信仰』 創世記25章1−11節 14, 9/14                   
 本日の昼食時に敬老のお祝いのひと時を持ちますが、一昨年までは65歳以上の方が対象でしたが、昨年は66歳に、今年は67歳に引き上げられて毎年1歳ずつ引き上げられます。ちなみに私が敬老会の入会は6年後になります。
 ところで私が牧師になって間もない頃に、私よりも10歳ぐらい若い牧師(当時28歳?)がMB敬老の集いのメッセージを頼まれていたのです。そのとき私は自分でなくてホッとしたのです。というのは、当時の私は敬老の人たちに何を語れば良いのか見当もつかなかったからです。その私もいつの間にか、来年は前期高齢者の仲間入りです。敬老の日のために語れる年齢になって来たのかなということで、聖書の中から代表的な人物を選んで、『老いと信仰』ということについてお話をさせていただきます。
 けさはアブラハム、イサク、ヤコブの生涯から学びましょう。
 へブル書11章において、アブラハム、イサク、ヤコブが年老いた時の信仰について紹介しています。
 アブラハムは神には人を死者の中からよみがえらせることもできるという信仰によって、愛するひとり子であるイサクをいけにえとして神様にささげたのです。その時のアブラハムの年は少なくとも110歳前後と思われます。
 次にイサクですが、信仰によってイサクは未来のことについて語り、ヤコブエサウを祝福しました。イサクが少なくとも100歳以上の時(110歳?)でした。
 そして信仰によってヤコブは死ぬときに(147歳)、ヨセフの子どもたちを一人一人祝福し、また自分の杖のかしらに寄りかかって礼拝したのです。そして彼らが召された年齢は、アブラハムは175歳、イサクは180歳、ヤコブは147歳でした。
 さて、彼らには2つの共通点があります。
 一つ目の共通点とは、彼らはともに長寿であったということです。そして、もう一つの共通点とは、長寿とともに信仰生涯を死ぬまで全うしたことです。
 このような彼らの人生を一言で言い表すなら、彼らはどれだけ素晴らしい人生を送ったのかと思われるのですが、本当にそうでしょうか。
 実のとことろはそうではなく、彼らは波瀾万丈、あるいは多くの苦難を経験し、それぞれに悩みと悲しみの人生を送っているのです。
 まずアブラハムから見て行きましょう。アブラハムは、神様の命令によって住み慣れた父の故郷であるカランを出た時は75歳でした。おいのロトとともにカナンの地に入りました。アブラハムは神様に祝福されて、豊かな財産と良き家族に恵まれました。おいのロトの家族も祝福されていました。ところがお互いの富が多くなった頃に、双方で争いが絶えなくなり、別々に住むことになりました。
 ある時には、アブラハムは堕落した人々のいる中に住んでしまったロトの家族を、神様のさばきに巻き込まれそうな中から救い出しました。
 その後アブラハムは同じ民であるサラを妻としたのですが、ある時にカナンの地が飢饉でエジプトに逃れた時に、自分が殺されて妻が奪われると思い、妻に妹と言っておくれと頼みました。しかしそれは偽りの罪を犯すことでした。
 その後、アブラハムとサラは子孫を祝福するという神の約束を待ち続けたのですが、いくら待っても子どもが与えられなかったために、アブラハムとサラは神様の約束を待ち切れずに、サラの同意もあって、アブラハムはエジプトの女奴隷ハガルと一緒になって与えられた子どもであるイシュマエルを後継ぎにしようとしたのです。
 しかしそれは神様のみこころではなかったのです。
 その後アブラハムは99歳、サラは89歳のときに、御使いから一年後に子どもが与えられることを告げられたのです。ところが二人とも御使いのことばを信じることができなかったのです。しかし御使いの言った通りに次の年にイサクが与えられたのです。 
 そしてアブラハムが110歳前後?のときに、神の命令に従ってイサクを祭壇にささげたのです。アブラハムにとって人生最大の試練の時でした。しかし彼は神様の命令に従いました。その時の彼の信仰についてへブル書で紹介しているのが、アブラハムは神には人を死者の中からよみがえらせることもできるという信仰であります。
 また彼はイサクの嫁のために自分の故郷の中から探すことを命じました。その後の彼の余生は創世記25章7、8節で紹介している通りです。
 さて、アブラハムは神の約束を待ち切れずに、(人間的にはよく忍耐したように思われますが)神のみこころに反し、代々に及ぶ悪い結果を残したにもかかわらず、神様はアブラハムを訓練されて、晩年にはより信仰が高められていったのです。
 神様を信じている者は、老いとともに信仰がより高められるために、神様がご訓練されるということをアブラハムの生涯から学びことができるのです。老いてもなお厳しい現実があるかも知れません。しかしそれは私の信仰を高嶺へと導かれるためであるということを信じましょう。
 次にイサクです。イサクが60歳のときにエサウヤコブを生みました。その後カナンの地がききんに見舞われて異国の地ゲラルに逃れたのですが、その地の王アビメレクが美しいイサクの妻に目を留め、妻のことを聞かれたときに、自分が殺されるかもしれないと恐れて、父アブラハムと同じように、あれは妹ですと偽ったのです。イサクの弱さは否めませんが、なお神様はイサクを祝福されました。
 さらに、イサクが100歳の時にエサウが異教の妻をめとりました。そのことはイサクとリベカに取って大変な悩みの種となりました。 
 その後、さらにイサクが年を重ねたころ(140歳?)に長男のエサウを祝福することを約束したのですが、リベカとヤコブは父を騙して、ヤコブが長男の権利を奪いました。その後ヤコブとは険悪な仲になり、エサウは父の家を離れて行ったのです。
 イサクはさらに年を重ねて、視力も益々衰えて行き180歳で息絶えて死にました。
 少なくともイサクは30年あるいは40年間目がほとんど見えない状態であったと思われます。
 イサクの生涯は父アブラハムとは違い、比較的平凡な生涯を送ったように思われるのですが、100歳ごろから、子どもたちのことで夫婦共に悩みの種となり、そして、130歳あるいは140歳頃から亡くなる180歳までは目が見えなくなって来たために不自由な生活を強いられたようです。へブル書11章29節において、イサクの信仰について、『信仰によって、イサクは未来のことについて、ヤコブエサウを祝福しました。』と紹介されているのです。
 彼の家庭の事情を見る限り、何かとトラブルが尽きなかったことでしょう。特にエサウの信仰の継承がうまくいったとは思われないのですが、イサクは老いてなお二人の子どもを信仰によって祝福したのです。
 イサクは悩み多し、苦労の尽きない人生を送ったように思われます。そのような中で、事の成り行きをいつも神様に委ねて、ヤコブエサウを祝福して、彼らの将来を神様に託したイサクのあきらめない信仰に学びたいものです。
 最後はヤコブです。ヤコブは、父イサクとは全く異なる波瀾万丈の人生を送りました。
 兄エサウから長子の権利をだまし取り、その兄から逃亡して、母リベカの叔父がいるハランの地に行き、愛するラケルのために20年間叔父のラバンに仕えたのです。
 そこで4人の妻をめとり、やがて父イサクの地に帰るのです。その道中に兄エサウとの再会と和解の時を持ちました。
 その後カナンの地に帰るのですが、ヤコブの子どもたちは、父ヤコブが偏愛していた弟のヨセフをエジプトの商人に奴隷として売り、父にはヨセフは獣に殺されたと偽りました。ヤコブはもう死んだほうがましだと、ヨセフの死を非常に悲しみました。その後歳月が流れ、カナンが飢饉になった時に、子どもたちがエジプトに食糧を買いに行くという出来事の中で、神様の計らいによってエジプトの宰相となっていた弟ヨセフに再会し、父ヤコブもエジプトに逃れ、ヨセフとの感動的な再会となったのです。
 そしてエジプトの王パロの前で、ヤコブは『私のたどった年月は130年です。私の齢の年月はわずかで、ふしあわせで、私の先祖のたどった齢の年月には及びません。』と語りました。
 へブル書11章21節で『信仰によって、ヤコブは死ぬとき、ヨセフの子どもたちをひとりひとり祝福し、また自分の杖のかしらに寄りかかって礼拝しました。』と書かれているのです。
 ヤコブの波瀾万丈の苦難の人生は、幸せとは言いがたいのですが、その生き様を通して、神を信じる者はすべてのことあい働きて益としてくださる(ローマ書8章28節)という神様のみことばの約束の確かさを知るのです。老いは神様のみわざの素晴らしさをより多く体験できる恵みでもあります。
 アブラハム、イサク、ヤコブたちはともに長寿を全うしていますが、その生涯においては、数々の苦難や労苦や悩みや涙があったのです。しかし彼らは神様から決して離れることはありませんでした。老いても神とともに歩む人生に失望、落胆、絶望がないという事を学ばせていただきました。
 聖書には彼らの死に様ではなく、生き様が記されているのです。老いは決して死の準備の時ではないのです。本来死とは生と背中合わせであって年を選びません。「神がせっかくこの世で与えてくださっている時間を捨て、死に関する瞑想にふけろうとするのは、私にとってはとりもなおさず私の今の人生に意味はないと思い込むことにほかなりません。」 ポール・トウルニエ (1898年〜1986年) スイスの精神科医著 「老いの意味」より 
 しばしば日本では大往生されたことによって、その人の生き方のすべてを良しとする傾向があるように思われます。
 しかし、神とともに生きた足跡こそがその人の人生を物語っているのではないでしょうか。
 ですから、信仰者が人生の最期において死を恐れることがあっても不信仰でないのです(ポール・トウルニエは、死は信仰的な問題としてではなく、心理的な問題としてとらえている)。
 老いの時を、差し迫る死に心奪われ過ぎることなく、信仰によって、神とともに楽しく平安に過ごす最良の時とされてはいかがでしょうか。もちろん天国の希望と喜びを抱きつつ!